天皇神社本殿・天皇神社見どころ(修学旅行・観光)

天皇神社本殿

●天皇神社本殿は1938年(昭和13年)8月26日に国の重要文化財に指定されました。
●天皇神社本殿は室町時代中期の1396年(応永3年)に建立されました。1396年(応永3年)6月に諸国巡歴中に本殿に参拝した周防国(すおうこく)上野寺(うえのでら)の住侶(じゅうりょ)・頼秀(よりひで)が社殿の荒廃を悲しみ、自ら願主になって藤井一家の大工に催促して建立したと言われています。本殿は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神として祀っています。また本殿は薬師如来(やくしにょらい)・大梵天(だいぼんてん)・牛頭天王(ごずてんのう)・天満天神(てんまんてんじん)の木像を安置しています。
素戔嗚尊は日本最古の正史「日本書紀・720年(養老4年)完成」によると父・伊奘諾尊と母・伊奘冉尊の子神で、天照大神の弟神とされています。また日本最古の歴史書「古事記・712年(和銅5年)編纂」によると父・伊奘冉尊が黄泉の国から帰還して日向で禊を行った際、天照大神・月読命に次いで産まれたとも言われています。素戔嗚尊は父・伊奘冉尊から海原の支配を命じられたが、使命を果たさなかったことから根の国に追放されました。高天原に姉・天照大神を訪ねたが、素戔嗚尊が攻めて来たと考えた天照大神は武装して応対し、素戔嗚尊は疑いを解く為に誓約を行って邪心のないことを証明しました。しかし高天原で乱暴を行った為、天照大神が怒って天の岩戸に隠れ、高天原から追放されました。世の中は暗闇になり、困った八百万神が天安河の河原に集まって大宴会を行って岩戸を開かせたと言われています。素戔嗚尊は出雲国(島根県)簸川のほとりに降り、八岐大蛇を退治し、救った櫛稲田姫命と結婚し、大国主神(大己貴神)が生まれ、出雲の祖神になりました。また素戔嗚尊は八岐大蛇の尾から得た天叢雲剣を天照大神に献じました。その後天叢雲剣(草薙剣)は八咫鏡・八尺瓊勾玉とともに三種の神器になりました。その後娘・須勢理毘売命とともに根の国に住み、六世の孫である大国主神が異母兄弟の八十神の迫害を逃れて訪ねてくると試練を課したが、最後に娘・須勢理毘売命を与え、聖器を授け、葦原中国の統治者となることを命じました。なお素戔嗚尊は仏教の開祖・お釈迦さまが説法した祇園精舎の守護神・牛頭天王と同一視され、素戔嗚尊の本地ともされています。
●天皇神社は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は室町時代の特徴をよく保っているとも言われています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
天皇神社

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