東大寺閼伽井屋・東大寺見どころ

東大寺閼伽井屋

●東大寺閼伽井屋は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●東大寺閼伽井屋は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に再建されました。奈良時代の752年(天平勝宝4年)に実忠(じっちゅう)がお水取り(修二会・お松明)が始め、その後東大寺閼伽井屋も建立されたとも言われています。1961年(昭和36年)9月16日の第2室戸台風(最低気圧890hPa・最大風速75m/s)によって良弁杉(ろうべんすぎ)が倒れて屋根を破損し、その後解体修理が行われました。
一般的に閼伽井は仏前に供える閼伽の水をくむ井戸です。閼伽は元々客人を接待する時に捧げられる水だったが、その後神仏に供えられる水になりました。閼伽は仏教で仏前などに供える水で、六種供養(閼伽・塗香(ずこう)・華・焼香(しょうこう)・飲食・灯明(とうみょう))のひとつに数えられています。
●東大寺閼伽井屋には若狭井戸(若狭井(わかさい))があります。若狭井戸は実忠が十一面悔過法要中に全国の神名を唱えて勧請したが、若狭国の遠敷明神(おにゅうみょうじん)だけが、遠敷川(おにゅうがわ)で魚を獲っていた為に勧請に遅れ、その詫びとして「遠敷川から水を送る」と言い、白黒の2羽の鵜が地中から飛び出し、霊水(閼伽井水)が湧き出したとも言われています。霊水は遠敷川鵜の瀬(うのせ)から約10日掛けて湧き出すとされています。
遠敷明神は福井県小浜市の若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)のことです。若狭彦神社では東大寺・若狭井戸に通じているとも言われている遠敷川中流にある鵜の瀬でお水送り神事が行われていました。現在は若狭彦神社の神宮寺であった若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)が主体として行っています。若狭神宮寺には閼伽井戸もあります。なお若狭彦神社は社伝によると奈良時代初期の714年(和銅7年)9月10日に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が示現した白石の里に若狭彦神社上社が創建され、翌715年(霊亀元年)9月10日に現在の場所に移されたと言われています。
●東大寺閼伽井屋は桁行三間・梁間二間で、切妻造(きりつまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。東大寺閼伽井屋には鵜の形をした瓦が配されています。なお東大寺閼伽井屋は榊(さかき)・しめ縄で結界が張られています。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東大寺見どころ

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