東大寺阿弥陀堂・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺阿弥陀堂

●東大寺阿弥陀堂は勧進所内に建立されています。阿弥陀堂は江戸時代中期の1686年(貞享3年)に公慶上人(こうけいしょうにん)が露座の大仏の修理・大仏殿の再建の為、勧進所を建立した際に一緒に建立されたとも言われています。阿弥陀堂は鎌倉時代(13世紀)に造仏され、重要文化財に指定されている五刧思惟阿弥陀如来(ごこうしゆいあみだにょらい)像を安置しています。なお阿弥陀堂では毎年10月5日に勧進所八幡殿に安置され、国宝に指定されている僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)坐像の一般公開に合わせ、五刧思惟阿弥陀如来像も公開されます。
五刧思惟阿弥陀如来像(重要文化財)は寺伝によると俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)と言われる重源上人が宋(中国)から将来したとも言われています。ただ桧(ひのき)が使われていることから鎌倉時代に宋(中国)の彫刻などにならって、日本で造仏されたと言われています。五刧思惟阿弥陀如来像は像高約106センチの寄木造で、顔だちは頬が張って四角く、扁平で、目鼻が小さく中央に集っています。なお五刧思惟阿弥陀如来像に似た仏像が東大寺の末寺・五劫院(ごこういん)にも安置されています。
五刧思惟阿弥陀如来は阿弥陀如来の異形のひとつです。五刧思惟阿弥陀如来は四十八の大願(四十八願 (しじゅうはちがん))を成就する為、永い間剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたことから頭髪(螺髪(らほつ))がアフロのような髪形になったと言われています。五刧思惟阿弥陀如来は気が遠くなるような長時間、思惟をこらして修行した結果、髪が伸びて渦高く螺髪が積み重なった様子を表しているそうです。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来のひとつで、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。
●東大寺阿弥陀堂は入母屋造(いりもやづくり)の桟瓦葺(さんがわらぶき)です。阿弥陀堂は正面に向拝(こうはい)付きです。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
桟瓦葺は平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用して屋根を葺く方法です。ちなみに本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
東大寺見どころ

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