東大寺知足院・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺知足院

●東大寺知足院は東大寺の塔頭(たっちゅう)寺院です。知足院は東大寺山内の北端に建立されています。知足院は平安時代前期の890年(寛平2年)に高雄十禅師が創建したとも言われています。その後荒廃し、鎌倉時代前期の1250年(建長2年)に東大寺別当・定親法印が再興し、法相宗(ほっそうしゅう)研究の中心道場になったと言われています。1863年(文久3年)に本堂が再建されました。本堂には像高約97.2センチの本尊・地蔵菩薩立像 (重要文化財) を安置しています。ちなみに地蔵菩薩立像を安置し、六道の扉絵が描かれた厨子も重要文化財です。知足院では毎年7月24日に地蔵会(じぞうえ)が行われ、一般に開帳されます。なおナラノヤエザクラは国の天然記念物に指定されています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様(釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ))が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(地獄道(じごくどう)・餓鬼道(がきどう)・畜生道(ちくしょうどう)・修羅道(しゅらどう)・人道(にんげんどう)・天道(てんどう))に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原(さいのかわら)で石の塔婆を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神(どうそじん)と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。地蔵菩薩は「地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。二十八種利益は天龍護念・善果日増・集聖上因・菩提不退・衣食豊足・疾疫不臨・離水火災・無盗賊厄・人見欽敬・神鬼助持・女転男身・為王臣女・端正相好・多生天上・或為帝王・宿智命通・有求皆従・眷属歓楽・諸横消滅・業道永除・去処盡通・夜夢安楽・先亡離苦・宿福受生・諸聖讃歎・聰明利根・饒慈愍心・畢竟成佛です。七種利益は速超聖地・悪業消滅・諸佛護臨・菩提不退・増長本力・宿命皆通・畢竟成佛です。なお地蔵菩薩は頭を丸め、左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しやくじよう)を持っています。
●地蔵菩薩立像は文使い地蔵とも言われています。
1180年(治承4年)に平清盛(たいらのきよもり)の五男・平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討(なんとやきうち)が起こり、1181年(養和元年)に左大弁(さだいべん)・藤原行隆(ふじわらのゆきたか)が東大寺の造寺長官に任ぜられ、造東大寺大勧進職・俊乗房重源とともに再興に尽力するが、無理がたたって完成を見ることなく亡くなりました。嘆き悲しんだ娘が毎日お地蔵さんに祈願すると7日目の朝にお地蔵さんの手に文(手紙)が握られていました。娘が文を見ると紛れもなく父・藤原行隆の字で、兜率天(とそつてん)の観音様のもとにいると書かれていました。その為お地蔵さんは文使い地蔵と言われるようになりました。なお俊乗房重源は藤原行隆の尽力に報いる為、遺族を東大寺領である備前国南北条荘の預所(あずかりどころ)に任じました。

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