東大寺法華堂経庫・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺法華堂経庫

●東大寺法華堂経庫は1902年(明治35年)7月31日に国の重要文化財に指定されました。
●東大寺法華堂経庫は平安時代前期(794年~929年)に建立されたとも言われています。東大寺法華堂経庫はかつて正倉院宝庫の北西約150メートルにあった庫蔵の地に東向きに建立されていたが、江戸時代中期の1696年(元禄9年)に現在の場所に移されたとも言われています。東大寺法華堂経庫は鎌倉時代に大修理が行われ、江戸時代中期の1731年(競歩6年)・江戸時代後期の1828年(文政11年)・明治時代中期にも修理が行われ、昭和の解体修理(昭和38年~昭和39年)で中世の姿に戻されました。なお東大寺法華堂経庫は東大寺の鎮守神・手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)の宝庫に隣接しているが、東大寺法華堂経庫はかつて手向山八幡宮に属し、明治維新後の神仏分離によって東大寺に属するようになり、扉が東大寺法華堂に背を向けています。
東大寺法華堂経庫にはかつて経典などが保管されていたが、中世以降に米蔵として使用されていた時期がありました。また江戸時代前期の1667年(寛文7年)に二月堂が焼失した際、絶対秘仏・十一面観音(大観音)の光背の断片が200年余り保管されていました。なお現在は塔頭(たちゅう)寺院の住職になる為の口頭試問・竪義(りゅうぎ)で使われる論議台2台などが保管されているそうです。
東大寺法華堂は奈良時代の740年(天平12年)から748年(天平20年)頃に建立されたと言われています。法華堂は東大寺の前身である金鍾寺(きんしょうじ・金鐘寺)の遺構で、752年(天平勝宝4年)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)に羂索堂(けんさくどう)として描かれています。羂索堂は不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)を本尊として安置していました。
手向山八幡宮は東大寺の大仏造立の際、749年(天平勝宝元年)に大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から勧請され、平城宮の南にあった梨原宮に東大寺の守護神として造営されました。手向山八幡宮は宇佐八幡宮の分社では第一号とされ、鎮守八幡宮とも言われていたそうです。明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)により、東大寺から独立しました。
●東大寺法華堂経庫は桁行三間・梁間三間の校倉で、寄棟造の本瓦葺です。
一般的に校倉は三角形・四角形などの断面をした木材を使って、稜(りょう)のひとつを外側に向け、井桁(いげた)に組んで外壁とした倉です。校倉は奈良時代に広く行われていました。校倉には壁面が頑丈で、雨仕舞(あまじまい)がよくて湿気を内部に通しにくく、また乾燥時に壁面から通風があるという特徴があります。なお校倉は甲倉(こうそう)・叉倉(さそう)とも言われています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
東大寺見どころ

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