東大寺本坊・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺本坊

●東大寺本坊(寺務所)は東大寺の子院(院家(いんげ))・東南院(とうなんいん)跡にあります。東南院は尊勝院(そんしょういん)とともに東大寺の二大院家とされ、真言宗(しんごんしゅう)の拠点寺院でした。東南院は平安時代前期の875年(貞観17年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海の孫弟子である理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が建立した薬師堂(やくしどう)が起源と言われています。また904年(延喜4年)に東大寺別当・道義律師(どうぎりっし)が香積院(こうじゃくいん・佐伯院(さえきいん))の建物を境内に移し、理源大師・聖宝を招いたとも言われています。その後三論宗(さんろんしゅう)・真言宗兼学になり、尊勝院とともに院家になり、塔頭(たちゅう)の中でも別格だったと言われました。明治維新後に東大寺本坊になりました。
なお本坊には天皇殿・持仏堂・本坊経庫などがあります。
東南院は875年(貞観17年)に薬師堂が建立されたのが始まりです。904年(延喜4年)に香積院(佐伯院)の建物が移されたが、1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討によって焼失しました。1190年(建久元年)に後白河法皇(第77代・後白河天皇)が再建するが、1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦によって再び焼失しました。その後も再建と焼失を繰り返し、1875年(明治8年)に寺内改革によって東大寺本坊に改められました。なお東南院はかつて天皇・上皇・法皇の御所になり、南都御所とも言われました。平安時代に白河上皇(第72代・白河天皇)、鎌倉時代に後白河法皇、第96代・後醍醐天皇の行在所になりました。また大仏殿落慶法要会の際には鎌倉幕府初代将軍・源頼朝も滞在しました。
理源大師・聖宝は平安時代前期の832年(天長9年)3月21日に讃岐国(香川県)で生まれました。847年(承和14年)16歳で奈良・東大寺(とうだいじ)に入り、真言宗の宗祖である弘法大師・空海の実弟で、東大寺別当・真雅(しんが)に師事して出家しました。その後奈良・元興寺(がんごうじ)の円宗(えんしゅう)・願暁(がんぎょう)から三論宗(さんろんしゅう)、東大寺の平仁(ひょうにん)から法相宗(ほっそうしゅう)、東大寺の玄永(げんえい)に華厳宗(けごんしゅう)を学びました。872年(貞観13年)に真雅から無量寿法(むりょうじゅほう)を受け、874年(貞観16年)に醍醐寺を創建しました。880年(元慶4年)に弘法大師・空海の甥で、金剛峯寺(こんごうぶじ)座主・真然(しんぜん)に学んで両部大法(りょうぶたいほう)を受け、884年(元慶8年)に東寺二長者・源仁(げんにん)に伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を授けられました。887年(仁和3年)に朝廷から正式に伝法灌頂職位を授けられ、895年(寛平7年)に東寺二長者になり、896年(寛平8年)に東寺別当を兼ね、906年(延喜6年)に東寺一長者になりました。907年(延喜7年)に醍醐寺が第60代・醍醐天皇の御願寺になりました。理源大師・聖宝は修験道(しゅげんどう)の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづぬ)の故事を慕って、日ごろ山に登り、川を渡って山野で修業し、修験道の基礎を築いたことから「修験道の醍醐寺」とも言われています。なお理源大師・聖宝は909年(延喜9年)7月25日に亡くなりました。
佐伯院は奈良時代後期の776年(宝亀7年)3月に佐伯氏一族で、参議(さんぎ)・佐伯今毛人(さえきのいまえみし)が兄・佐伯真守(さえきのまもり)とともに東大寺・大安寺(だいあんじ)から左京五条六坊の地を購入し、氏寺として建立しました。なお佐伯院では奈良時代末期の788年(延暦7年)に平城京に上った佐伯氏一族である弘法大師・空海(佐伯眞魚(さえきのまお))が一時滞在し、大安寺の僧で、東大寺別当も務めた勤操(ごんそう)に学んだと言われています。
東大寺見どころ

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