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東大寺南大門・東大寺見どころ(修学旅行・観光)
●東大寺南大門は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●一般的に南大門は寺院などで南に面した正門で、中心的な建物に通じる門です。中国では都城や寺院などの建物が南側に面して建てられていることに由来しています。南大門は北・東・西の門よりも大きくなっています。
●東大寺南大門は基壇上の高さが約25.46メートルで、長さ約21メートルの大円柱が18本使われています。南大門は二重門で、下層は天井がない腰屋根構造になっています。なお建築様式は鎌倉時代に中国・宋の建築様式を取り入れて成立した大仏様(だいぶつよう)です。
大仏様は鎌倉時代初期に俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が大仏殿を再建する際に中国・宋(南宋)から取り入れた建築様式です。大仏様は南宋系の建築様式で、禅宗様(ぜんしゅうよう)は北宋系の建築様式です。大仏様は柱に肘木をさし込む指肘木(さしひじき)、天井を張らない化粧屋根(けしょうやね)、用木に彩色を施すのが特徴です。なお大仏様はかつて天竺様(てんじゅくよう)とも言われていました。
●東大寺南大門は門内左右に高さ約8.4メートルの金剛力士像(仁王像)2体と石造獅子1対を安置しています。金剛力士像は山口県で伐採された木材が1年ほど掛けて搬送され、運慶(うんけい)・快慶(かいけい)・湛慶(たんけい)らにより、2体同時進行で約70日間で造られました。金剛力士像は約3,000の部材による寄木造(よせぎづくり)で造られています。
金剛力士は仏教において天界に住む天部(てんぶ)で、仏教の護法善神(守護神)です。天部には阿形(あぎょう)の金剛力士である那羅延堅固(ならえんけんご)・吽形(うんぎょう)の金剛力士である密迹金剛士(みっしゃくこんごうし)・難陀龍王(なんだりゅうおう)・摩ご羅(まごら)・緊那羅(きんなら)・迦楼羅(かるら)・乾闥婆(けんだつば)・毘舎闍(びしゃじゃ)・散支大将(さんしたいしょう)・満善車鉢(まんぜんしゃはつ)・摩尼跋陀羅(まにばだら)・毘沙門天(びしゃもんてん)・提頭頼た王(だいずらたおう)・婆藪仙(ばすせん)・大弁功徳天(だいべんくどくてん)・帝釈天王(たいしゃくてんおう)・大梵天王(だいぼんてんおう)・毘楼勒叉(びるろくしゃ)・毘楼博叉(びるばくしゃ)・薩遮摩和羅(さしゃまわら)・五部浄居(ごぶじょうご)・金色孔雀王(こんじきくじゃくおう)・神母女(じんもにょ)・金毘羅(こんぴら)・畢婆伽羅(ひばから)・阿修羅(あしゅら)・伊鉢羅(いはつら)・娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)という二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)などがあります。なお二十八部衆は千手観音(せんじゅかんのん)の眷属(けんぞく)とされています。
金剛力士像(仁王像)は像容が上半身裸形で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としています。金剛力士像は二神一対で、口を開いた阿形は怒りの表情を表し、口を閉じた吽形は怒りを内に秘めた表情を表しているものが多くなっています。一般的に正面から見て右側の像(阿形)は左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持ち、一喝するように口を開け、左側の像(吽形)は右手の指を開き、怒気を帯びて口を結んでいます。なお「阿」はインドで使用されるブラーフミー系文字・梵字(ぼんじ)で口を開いて発する最初の音声で、仏教では物事の始まりを表します。「吽」は梵字で口を閉じて発する最後の音声で、仏教では物事の終わりを表します。
寄木造は平安時代中期に完成した仏像彫刻の技法で、仏師・定朝(じょうちょう)が寄木造技法の完成者とされています。寄木造では頭部・胴部など仏像の各部を別々に彫刻し、内部をくりぬき、組み合わせて仏像を造ります。寄木造では1体の仏像を多数の仏師で効率的に造ることができます。なお一木造では大木が必要だが、寄木造では小木で巨像を造ることができるようになりました。
東大寺見どころ