東大寺二月堂仏餉屋(御供所)・東大寺見どころ(修学旅行・観光)

東大寺二月堂仏餉屋(御供所)

●東大寺二月堂仏餉屋(御供所)は1903年(明治36年)4月15日に国の重要文化財に指定されました。
●東大寺二月堂仏餉屋(御供所)は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に二月堂近くに建立されました。二月堂仏餉屋(御供所)は仏前に供えられるごはんである仏飯(ぶっぱん)や粥(かゆ)を調理する場所です。
二月堂仏餉屋(御供所)からは解体修理に伴う発掘調査により、鬼面文鬼瓦1個(奈良時代(8世紀))・緑釉軒平瓦1個(奈良時代(8世紀))・二彩陶器3個(奈良時代(8世紀))・二彩水波文セン2個(奈良時代(8世紀))・墨書土器3個 (奈良時代(8世紀))・銭貸7枚(奈良時代~平安時代(8~10世紀)・中国北宋(10~11世紀))などが出土しました。出土品は東大寺の前身寺院の遺構などとも言われています。
御供所は一般的に神仏へ供える御供(供物・供え物)を調える場所です。供物は神前に供えるものを神供 (じんく)・神饌(しんせん)、仏前に供えるものを供養物とも言います。
二月堂はお水取り(修二会)が始まった奈良時代中期の752年(天平勝宝4年)に建立され、平安時代末期の1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や戦国時代の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、江戸時代前期の1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。二月堂の名称は旧暦の2月に行われる修二会(お水取り)に由来しています。
東大寺お水取り2025
修二会(修二月会)は2月に行われる悔過 (けか)の行事です。修二会は1月(正月)に行われる修正会 (しゅしょうえ・修正月会) と同様に旧年の穢れを祓う懺悔 (さんげ) と新年の平安・豊穣祈念が行われます。なお修二会は中国の行事が起源とされ、奈良時代に南都七大寺(東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・西大寺・薬師寺・法隆寺)で盛んに行われるようになったと言われています。
●東大寺二月堂仏餉屋(御供所)は桁行五間・梁間二間で、切妻造(きりつまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
東大寺見どころ

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