東大寺遠敷神社・東大寺見どころ

東大寺遠敷神社

●東大寺遠敷神社(おにゅうじんじゃ)は二月堂北側に祀られています。遠敷神社は二月堂周辺に祀られている飯道神社(はんどうじんじゃ・いいみちじんじゃ)・興成神社(こうじょうじんじゃ)とともに二月堂の鎮守神とも言われています。遠敷神社は形式から19世紀(江戸時代後期~明治時代前期)に再建されたとも言われています。なお遠敷神社はかつて若狭国の遠敷明神( おにゅうみょうじん)を勧請して祀られていたが、現在は若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)上社と同じ祭神・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・若狭彦神)を祀っています。
遠敷神社は遠敷明神が閼伽水(あかみず)を献じた伝承が寺誌「東大寺要録(とうだいじようろく)・平安時代後期(1106年(嘉承元年))編纂」に記されていることから平安時代には既に二月堂周辺に勧請されて祀られていたとも言われています。ちなみに中世の絵画には飯道神社・興成神社とともに描かれています。
若狭彦神社は社伝によると奈良時代初期の714年(和銅7年)9月10日に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が示現した白石の里に若狭彦神社上社が創建され、翌715年(霊亀元年)9月10日に現在の場所に移されたと言われています。若狭姫神社下社は721年(養老5年)2月10日に上社から分霊して祀られるようになりました。「延喜式神名帳(927年(延長5年))」に「若狭比古神社二座 名神大」と記され、上社・下社が名神大社に列せられました。中世に上社が若狭国一宮、下社が若狭国二宮とされたが、室町時代頃から上社で行われていた祭祀が下社で行われるようになりました。なお若狭彦神社では東大寺・若狭井戸に通じているとも言われている一級河川・遠敷川(おにゅうがわ)中流にある鵜の瀬でお水送り神事が行われていました。現在は若狭彦神社の神宮寺であった若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)が主体として行っています。若狭神宮寺には閼伽井戸もあります。
二月堂は修二会(お水取り)が始まった奈良時代の752年(天平勝宝4年)に建立され、平安時代後期の1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や戦国時代の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、江戸時代前期の1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。二月堂の名称は旧暦の2月に行われる修二会(お水取り)に由来しています。
東大寺見どころ

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