唐招提寺中興堂・唐招提寺見どころ(修学旅行)

唐招提寺中興堂

●唐招提寺中興堂は律宗(りっしゅう)の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の再来と謳われた大悲菩薩(だいひぼさつ)・覚盛上人(かくじょうしょうにん)の750年御諱(没後750回忌)を記念し、1999年(平成11年)に建立されました。中興堂は祖師堂で、覚盛上人坐像(重要文化財)を安置しています。また昭和の中興とも言われている第81世・森本孝順(もりもときょうじゅん)長老坐像も安置しています。なお唐招提寺では覚盛上人の命日である5月19日に中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ・うちわまき)が行われ、その遺徳を偲んで舎利殿からうちわが撒かれます。
覚盛は鎌倉時代の1194年(建久5年)に大和国(奈良)に生まれました。法相宗(ほっそうしゅう)大本山・興福寺(こうふくじ)で出家し、1212年(建暦2年)に法相宗の僧・貞慶(じょうけい)が戒律復興の為の道場として建立した興福寺常喜院(じょうきいん)に住して戒律を学びました。その後華厳宗(けごんしゅう)中興の祖・明恵(みょうえ)から華厳、西大寺(さいだいじ)の戒如(かいにょ)から律(りつ)を学びました。1236年(嘉禎2年)に律宗中興の祖である叡尊(えいそ)や円晴(えんせい)・有厳(うごん)らとともに東大寺(とうだいじ)で自ら仏前で戒律を受持することを誓う自誓受戒(じせいじゅかい)して戒律を復興しました。第87代・四条天皇(しじょうてんのう)や皇族・公卿に菩薩戒(ぼさつかい)を授けました。1244年(寛元2年)に勅(ちょく)によって唐招提寺に住し、唐招提寺・律学の復興に尽力し、戒律復興の祖とも、鑑真和上の再来とも称されました。覚盛は唐招提寺を叡尊が住した西大寺とともに南都の中世戒律復興運動の二大拠点とし、「菩薩戒通受遣疑鈔(ぼさつかいつうじゅいぎしょう)」などを記しました。弟子には良遍(りょうへん)・証玄(しょうげん)・円照(えんしょう)などがいます。覚盛は1249年(建長元年)7月1日に56歳で亡くなり、1330年(元徳2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から諡号「大悲菩薩(だいひぼさつ)」が贈られました。
うちわまきは鎌倉時代に大悲菩薩・覚盛上人が修行中に蚊に刺されるのを見ていた弟子が蚊を叩こうとした際、覚盛上人が「不殺生を守りなさい 自分の血を与えるのも菩薩行である」と言って戒め、その後1249年(建長元年)に覚盛上人が亡くなると法華寺(ほっけじ)の尼僧が遺徳を偲んで、「せめて団扇で蚊を払って差し上げよう」とハート型うちわ・宝扇(ほうせん)を供えたことに由来しているそうです。
●唐招提寺中興堂は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
唐招提寺見どころ

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