唐招提寺開山堂・唐招提寺見どころ(修学旅行・観光)

唐招提寺開山堂

●唐招提寺開山堂は江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)に徳川家歴代の御霊殿(ごれいでん)として建立されました。1881年(明治14年)に鑑真和上(がんじんわじょう)坐像(国宝)を安置する為に現在の場所に移されました。その後鑑真和上坐像が御影堂に移され、唐招提寺中興の祖・覚盛上人(かくじょうしょうにん)、第45代・聖武天皇、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の坐像を安置し、本願殿と言われました。老朽化に伴って改修工事が行われ、鑑真和上円寂から1250年になる2013(平成25年)に鑑真和上の姿を写した「御身代わり像(おみがわりぞう)」が造られ、開山堂として再び落慶致しました。
鑑真和上は688年に唐(中国)・揚州(ようしゅう)江陽県(こうようけん)に生まれ、14歳で智満(ちまん)の元で出家し、18歳で道岸(どうがん)から菩薩戒(ぼさつかい)を受け、20歳から古都・長安(ちょうあん)で律宗(りっしゅう)・天台宗(てんだいしゅう)を学んで修行を積み、江南第一の大師と称されました。その後揚州・大明寺(だいめいじ)の住職であった742年(天宝元年)に遣唐使(けんとうし)として唐に渡った栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)から伝戒(でんかい)の師としての招請を受け、奈良時代中期の753年(天平勝宝5年)に6回目の挑戦の末に来日しました。ちなみに鑑真和上は5度の渡航失敗中に失明しました。来日後の5年間は東大寺(とうだいじ)で過ごし、大仏殿に戒壇(かいだん)を築き、聖武上皇(第45代・聖武天皇)から僧尼まで400名に菩薩戒を授けました。その後759年(天平宝字3年)に第40代・天武天皇の皇子・新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸宅跡が与えられて唐招提寺が創建されると唐招提寺に移りました。なお鑑真和上は763年(天平宝字7年)5月6日に76歳で亡くなりました。
覚盛は1194年(建久5年)に大和国に生まれました。興福寺で出家し、1212年(建暦2年)に法相宗の僧・貞慶(じょうけい)が戒律復興の為の道場として建立した興福寺常喜院に住して戒律を学びました。1236年(嘉禎2年)に律宗中興の祖である叡尊(えいそ)・円晴(えんせい)・有厳(うごん)らとともに東大寺で自ら仏前で戒律を受持することを誓う自誓受戒して戒律を復興しました。第87代・四条天皇や皇族・公卿に菩薩戒(ぼさつかい)を授けました。1244年(寛元2年)に勅(ちょく)によって唐招提寺に住し、唐招提寺・律学の復興に尽力し、戒律復興の祖とも、鑑真和上の再来とも称されました。覚盛は「菩薩戒通受遣疑鈔」などを記しました。覚盛は1249年(建長元年)7月1日に56歳で亡くなり、1330年(元徳2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から諡号「大悲菩薩(だいひぼさつ)」が贈られました。
第45代・聖武天皇は701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子として生まれました。714年(和銅7年)に元服して立太子され、病弱であったことから第42代・文武天皇の姉である第44代・元正天皇が即位しました。724年(神亀元年)に第44代・元正天皇から譲位されて24歳で天皇に即位しました。737年(天平9年)に天然痘が流行し、740年(天平12年)に藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)が起こると突然関東(伊勢国・美濃国)への行幸を始め、その後約10年間に目まぐるしく遷都(平城京・恭仁京・難波京・紫香楽京・平城京)を行いました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に国分寺建立の詔 (こくぶんじこんりゅうのみことのり)、743年(天平15年)に大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発しました。749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、752年(天平勝宝4年)に東大寺大仏の開眼法要を行いました。なお第45代・聖武天皇は756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。
徳川家康は1543年(天文11年)に三河国額田郡岡崎城主・松平広忠(まつだいらひろただ)と於大の方(おだいのかた)の長男として生まれました。幼少期に織田氏・今川氏の人質として過ごし、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で織田信長(おだのぶなが)が今川義元(いまがわよしもと)を討つと岡崎に戻り、織田信長と同盟を結んで勢力を拡大しました。安土桃山時代の1582年(天正10年)の本能寺の変(ほんのうじのへん)で織田信長が自刀するとは関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)と対立するが、その後和睦して豊臣秀吉の天下統一に協力し、豊臣政権の五大老筆頭になりました。1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で西軍に勝利し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍になりました。1605年(慶長10年)に徳川秀忠に将軍職を譲って大御所になり、1615年(慶長20年)に大坂の陣で豊臣氏を滅亡させました。なお徳川家康は1616年(元和2年)6月1日になくなりました。
唐招提寺見どころ

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