唐招提寺礼堂・唐招提寺見どころ

唐招提寺礼堂

●唐招提寺礼堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財に指定されました。
●唐招提寺礼堂は鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に僧房(そうぼう)として建立され、1283年(弘安6年)に改築されたとも言われています。講堂を挟んだ西側に同様の堂塔があり、僧房として使われていました。唐招提寺礼堂は隣の鼓楼(ころう)に安置された仏舎利(ぶっしゃり)を礼拝する堂塔で、内部には釈迦如来立像(重要文化財)・日供舎利塔(重要文化財)が安置されています。
鼓楼は鎌倉時代前期の1240年(仁治元年)に建立されました。唐招提寺鼓楼は古くから太鼓ではなく、開基・鑑真和上(がんじんわじょう)が唐(中国)から請来した仏舎利(ぶっしゃり)を安置していることから舎利殿(しゃりでん)とも言われています。厨子(ずし)には仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)を安置しています。なお鼓楼は楼造で、入母屋造の本瓦葺です。
仏舎利は入滅したお釈迦さまが荼毘に付された際の遺骨を指します。お釈迦さまは仏教の開祖で、世界四聖の一人です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
一般的に僧房(僧坊)は寺院で僧侶が止住し、起居する堂塔です。古代の寺院では講堂を取り囲むように東室(ひがしむろ)・北室(きたむろ)・西室(にしむろ)の3棟の僧房が建立され、三面僧房(さんめんそうぼう)と言われました。なお僧坊は金堂・塔・講堂・鐘楼・経蔵・食堂とともに七堂伽藍に数えられました。
●唐招提寺礼堂は桁行十九間・梁間四間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。唐招提寺礼堂は桁行十九間の内、南八間が礼堂(仏堂)・北十間が東室(ひがしむろ)、礼堂と東室の間の一間が通路である馬道(めどう)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
唐招提寺見どころ

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