壷阪寺礼堂・壷阪寺見どころ(修学旅行・観光)

壷阪寺礼堂

●壷阪寺礼堂は1959年(昭和34年)6月27日に国の重要文化財に指定されました。
●壷阪寺礼堂は室町時代中期(1393年~1466年)に再建されたと言われています。その後江戸時代に模様替えなどの大改築が行われたり、規模が縮小されたりしたが、昭和の解体修理時に行われた地下の発掘調査や残存する部材から室町時代の姿が判明し、規模などを室町時代中期の再建時の姿に戻されました。ちなみに礼堂は飛鳥時代後期の703年(大宝3年)の壷阪寺創建時に建立されたが、1096年(嘉保3年・永長元年)に焼失し、1103年(康和5年)に再建されました。しかし鎌倉時代初期にも焼失し、直ちに再建されるが、室町時代初期にも焼失したといわれています。なお礼堂は本尊・十一面千手観世音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんのん)を礼拝する為に建立されています。
一般的に礼堂は本尊を安置する本堂・祖先の位牌を祀る祠堂 (しどう) などの前に設けられた礼拝・読経の為の堂塔です。
十一面千手観世音菩薩は十一面観音などと言われています。十一面観音は観音菩薩の変化身(へんげしん)で、六観音の一尊です。六観音は千手観音(せんじゅかんのん)・聖観音(しょうかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)」によるとあまねく衆生を救う為に相手に応じて、三十三の姿に変身すると説かれています。十一面観音像は通例として、頭上の正面側に柔和相(3面)、左側(向かって右)に憤怒相(3面)、右側(向かって左)に白牙上出相(3面)、背面に大笑相(1面)、頭頂に仏相を現します。十一面観音は「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経」によると現世での10種の利益(十種勝利)と来世での4種の果報(四種功徳)をもたらすと言われています。
●壷阪寺礼堂は桁行五間・梁間四間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
壷阪寺

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