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都祁水分神社本殿・都祁水分神社見どころ(修学旅行・観光)
都祁水分神社本殿
●都祁水分神社本殿は1907年(明治40年)8月28日に国の重要文化財に指定されました。
●都祁水分神社本殿は室町時代後期の1499年(明応8年)に七ケ庄(藺生・小山戸・友田・南殿・白石・無山・向淵)の反米が建立しました。ちなみに都祁水分神社は飛鳥時代に現在、都祁山口神社が祀られている場所(小山戸カモエ谷)に創建され、その後平安時代中期の972年(天禄3年)に興福寺(こうふくじ)の塔頭・喜多院(きたいん)二階堂の荘園だった現在の場所に移されたと言われています。本殿は速秋津彦神(はやあきつひこのかみ)・天水分神(あまのみくまりのかみ・あめのみくまりのかみ)・国水分神(くにのみくまりのかみ)を祀っています。
速秋津彦神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の子神として産まれました。速秋津彦神は速秋津比売神とともに男女一対の神で、水戸神(みなとのかみ)と総称され、穢(けがれ)を祓う神とされています。速秋津彦神と速秋津比売神の子神にはいずれも水にまつわる沫那藝神(あはなぎのかみ)・沫那美神(あはなみのかみ)、頬那藝神(つらなぎのかみ)・頬那美神(つらなみのかみ)、天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)・国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)がいます。なお速秋津彦神は速秋津比古神・速秋津日命とも言われています。
天水分神・国水分神はいずれも速秋津彦神と速秋津比売神の子神として産まれました。天水分神・国水分神は水の分配を司る神・水分神(みくまりのかみ)とされています。水分神は都祁水分神社だけでなく、葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ・葛城水分神社)・吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)・宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)・建水分神社(たけみくまりじんじゃ)・天水分豊浦命神社(あめのみくまりとようらのみことじんじゃ)などに祀られ、「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると飛鳥時代後期の698年(文武天皇2年)に吉野水分神社で雨乞いの為に馬が献じたことが記されています。
●都祁水分神社本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
都祁水分神社