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宇太水分神社本殿・宇太水分神社見どころ(修学旅行・観光)
宇太水分神社本殿
●宇太水分神社本殿(第一殿・第二殿・第三殿)は1911年(明治44年)4月17日に国の重要文化財、1954年(昭和29年)3月20日に国宝に指定されました。
●宇太水分神社本殿(第一殿・第二殿・第三殿)は同形・同大の社殿3棟が相接・並列して建立されています。本殿は第一殿の棟木の墨書によると鎌倉時代後期の1320年(元応2年)に建立されたと言われています。ただ第二殿は棟木の墨書によると戦国時代(室町時代後期)の1558年(永禄元年)に新造に近い改築が行われたとも言われています。第一殿・第三殿は建立年代の明らかな隅木入春日造として、日本最古と言われています。なお本殿は向かって右から第一殿に天水分神(あめのみくまりのかみ)、第二殿に速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)、第三殿に国水分神(くにのみくまりのかみ)を祀っています。
天水分神・国水分神は日本神話の神産みの際、速秋津比古神と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)の子神として産まれたと言われています。天水分神・国水分神は水の分配を司る神とされ、天水分神は山頂の水、国水分神は地上の水の分配するとされています。天水分神・国水分神は祈雨の対象ともされ、豊作の神としても信仰されています。なお天水分神はいずれも延喜式内社である吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)・葛木水分神社(かつらぎみくまりじんじゃ)・都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)・建水分神社(たけみくまりじんじゃ)・天水分豊浦命神社(あめのみくまりとようらのみことじんじゃ)などに祀られています。
速秋津比古神は日本神話の神産みの際、速秋津比売神とともに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の子神として産まれ、速秋津比売神と男女一対の神で、水戸神(みなとのかみ)と総称され、穢(けがれ)を祓う神とされています。速秋津比古神・速秋津比売神は親神として、天水分神・国水分神だけでなく、沫那藝神(あはなぎのかみ)と沫那美神(あはなみのかみ)、頬那藝神(つらなぎのかみ)と頬那美神(つらなみのかみ)、天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)と国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)を産んだとされています。
●宇太水分神社本殿(第一殿・第二殿・第三殿)は一間社(いっけんしゃ)隅木入(すみぎいり)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は一間社春日造だが、春日大社の本殿と異なり、母屋の前面に隅木を入れた隅木入春日造になっています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
宇太水分神社