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夜支布山口神社立磐神社・夜支布山口神社見どころ(修学旅行・観光)
夜支布山口神社立磐神社
●夜支布山口神社立磐神社は本殿が1953年(昭和28年)3月31日に国の重要文化財に指定されました。
●夜支布山口神社立磐神社は本殿が江戸時代中期の1727年(享保12年)に春日大社(かすがたいしゃ)の第4殿として建立され、1747年(延享4年)に移して建立されました。ちなみに第4殿には天児屋根命(あめのこやねのみこと)の妻・比売神(ひめがみ)が祀られています。なお立磐神社は地面に突き立った巨石を御神体とし、手力男命(たじからおのみこと)を祀っています。
手力男命は大力の神とされています。天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟・素戔嗚尊(すさのおのみこと)が高天原(たかまがはら)で乱暴を行うと怒って天の岩戸(あまのいわと)に隠れ、世の中が暗闇になった際、八百万神(やおよろずのかみ)が天安河(あまのやすのかわ)の河原に集まって大宴会を行い、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が踊り、不思議に思った天照大神が天の岩戸を少し開いた時に手力男命が天照大神を引きずり出したと言われています。また瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨(てんそんこうりん)の際、天照大神が八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)からなる三種の神器(さんしゅのじんぎ)を授け、手力男命は思金神(おもいかねのかみ)・天石門別神(あまのいわとわけのかみ)とともに従い、その後伊勢の佐那県(さなあがた・三重県多気町佐奈)に鎮座したと言われています。
春日大社は社伝によると約1,300年前、奈良時代初期の710年(和銅3年)に常陸国(ひたちのくに)・鹿島神宮(かしまじんぐう)の祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請したのが起源と言われています。その後768年(神護景雲2年)に左大臣(さだいじん)・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅命により、現在の場所に社殿を造営して、下総国・香取神宮(かとりじんぐう)の祭神・経津主命(ふつぬしのおおみこと)や河内国・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の祭神・天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を勧請したと言われています。その後平安時代に藤原氏が隆盛すると官祭が行われるようになりました。春日大社の例祭・春日祭は賀茂社(かもしゃ(上賀茂神社・下鴨神社))の葵祭・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の石清水祭と合わせて、三大勅祭に数えられました。
●夜支布山口神社立磐神社は本殿が一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
夜支布山口神社