薬師寺仏足石・薬師寺見どころ(修学旅行)

薬師寺仏足石

●薬師寺仏足石は仏足跡歌碑(ぶっそくせきかひ)とともに大講堂内にあります。仏足石は奈良時代中期の753年(天平勝宝5年)に第40代・天武天皇の孫・文室浄三(ふんやのきよみ・文室真人智努(ぶんやのまひとちぬ))が夫人・茨田女王の追善の為、第七次遣唐使として渡唐した鋳銭司(じゅせんし)・黄書本実(きぶみのほんじつ)が唐(中国)の普光寺で写し持ち帰った仏足跡を写して制作したものと言われています。ちなみに仏足跡歌碑は仏足石とともに伝来したとも言われ、仏足跡を称える歌など21首の歌が万葉仮名で刻まれています。
仏足石はお釈迦様の足跡を石に刻み、信仰の対象としたものです。仏教が生まれたインドでは仏像が誕生する前に法輪(ほうりん)・塔(とう)・菩提樹(ぼだいじゅ)などとともに信仰の対象のひとつとして生まれました。仏足石はお釈迦様が約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説いたことに由来するとも言われています。仏足石は古くは紀元前4世紀にも遡ると言われています。両足の仏足石が古い形式で、片足の両足は紀元後のものと言われています。仏足石には足下安平立相(そくげあんびょうりゅうそう)・足下二輪相(そくげにりんそう)・長指相(ちょうしそう)・手足指網相(しゅそくしまんそう)などがあります。仏足石はインドから中国を経て日本に伝わり、奈良時代中期の753年(天平勝宝5年)の銘がある薬師寺の仏足石が日本最古の仏足石とも言われています。仏足石はは仏脚石(ぶっきゃくせき)・仏足跡(ぶっそくせき)とも言われています。
お釈迦様(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖です。ちなみに仏陀(ぶっだ)は悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦様は約2,500年前、紀元前463頃の旧暦の4月8日にインド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦様は生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前に明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説きました。お釈迦様は鹿野苑(ろくやおん・サールナート)で最初の説法を行い、主にガンジス川の中流域で多くの階層の人々に教えを説いたと言われています。なおお釈迦様は紀元前383頃にクシナーラで80歳で亡くなりました。
文室浄三は693年(持統天皇7年)に第40代・天武天皇の皇子・長皇子(ながのみこ・長親王(ながしんのう))の子として生まれました。717年(霊亀3年)に無位から従四位下に叙され、翌718年(養老2年)に大舎人頭(おおとねりりょう)に任ぜられ、その後恭仁京(くにきょう)の造宮卿(ぞううぐうきょう)・紫香楽宮(しがらきのみや)の造離宮司(ぞうりきゅうし)などを歴任し、747年(天平19年)に従三位に昇叙して公卿(くぎょう)に列しました。752年(天平勝宝4年)に文室真人(ぶんやのまひと)姓を賜って臣籍降下しました。その後第47代・淳仁天皇に重用され、762年(天平宝字6年)に淳仁天皇から老いたことへの労りの詔があり、宮中で扇・杖を使うことを許されました。764年(天平宝字8年)1月に従二位に叙されたが、その後官職を辞退しました。770年(宝亀元年)に第48代・称徳天皇が崩御すると右大臣・吉備真備から皇嗣に推されたが、それを辞退し、同年10月31日に亡くなりました。
大講堂は2003年(平成15年)に再建されました。大講堂はかつて飛鳥時代後期の698年(文武天皇2年)に建立され、高さ約9メートル・幅6.5メートルの阿弥陀三尊(あみださんぞん)繍仏(しゅうぶつ)の開眼供養が行われたと言われています。戦国時代(室町時代後期)の1528年(享禄元年)の享禄の兵火で阿弥陀三尊繍仏とともに焼失しました。江戸時代後期の1852年(嘉永5年)に再建されたが、当初の大講堂に比べると小さなものでした。
薬師寺見どころ

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