薬師寺金堂・薬師寺見どころ(修学旅行・観光)

薬師寺金堂

●薬師寺金堂は1968年(昭和43年)から「百万巻お写経勧進による薬師寺金堂復興」が始まって仮金堂が解体され、1976年(昭和51年)に再建されました。薬師寺金堂は「薬師寺縁起」によるとかつて710年(和銅3年)の平城京遷都に伴って建立されました。室町時代に大風で破損して修理されたが、戦国時代(室町時代後期)の1528年(享禄元年)の享禄の兵火で焼失してしまいました。その後豊臣政権五奉行の第三席で、郡山城城主・増田長盛(ました ながもり)が仮金堂が建立したが、当初の二層の金堂を再建することはできませんでした。
金堂は「薬師寺縁起」によると「瑪瑙(めのう)を以て鬘石(かつらいし)と為し、瑠璃(るり)を以て地と為しこれを敷く。黄金を以て縄と為し道を堺さかいす」と記され、煌びやかで荘厳だったと言われています。その為「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)・平安時代末期成立」によると僧侶であっても入堂が許されず、特別なお堂だったと言われています。
●薬師寺金堂には奈良時代の仏教彫刻の最高傑作のひとつとされる本尊・薬師三尊像を安置しています。
薬師如来(薬師瑠璃光如来・やくしるりこうにょらい)は如来の一尊です。薬師如来は大医王(だいいおう)・医王善逝 (いおうぜんぜい) とも言われています。薬師如来は菩薩時代に衆生の病気を治すなどの十二の大願(十二誓願)を立てて如来となった東方瑠璃光浄土で説法する過去仏(教主)とされています。薬師如来は医王如来とも言われ、一般的に左手に病を癒す為の薬壷(やっこ)を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結んでいます。薬師如来は脇侍(きょうじ)が日光菩薩(にっこうぼさつ)・月光菩薩(がっこうぼさつ)とされ、眷属(けんぞく)である十二神将(じゅうにしんしょう)に守られています。薬師如来は現世利益を与えるとされ、飛鳥時代の680年(天武天皇9年)頃から盛んになったとも言われています。なお十二の大願は光明普照・随意成弁・施無尽仏・安心大乗・具戒清浄・諸根具足・除病安楽・転女得仏・安心正見・苦悩解脱・飲食安楽・美衣満足です。
●薬師寺金堂は正面約27メートル・奥行約16メートル・高さ約20メートルで、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんかわらぶき)です。薬師寺金堂は重層で、各階にもこし(裳階)付きです。なお薬師寺金堂は防火の観点から中央が鉄筋コンクリート造で、周囲が木造です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
裳階は仏堂などの本来の屋根の下に付けた差し掛けの屋根です。屋根が二重になるので2階建てと間違われたりします。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や法隆寺(ほうりゅうじ)金堂と五重塔・薬師寺(やくしじ)の東塔が代表例です。白鳳時代(はくほうじだい)に建立された法隆寺の金堂と五重塔が日本最古の例です。なお裳階は雨打 (ゆた)・雪打 (ゆた) とも言われています。
薬師寺見どころ

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