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薬師寺西塔・薬師寺見どころ(修学旅行・観光)
薬師寺西塔
●薬師寺西塔は戦国時代(室町時代後期)の1528年(享禄元年)の兵火で焼失し、1981年(昭和56年)に伝統様式・技法によって再建されました。西塔は500年後に東塔と同じ高さになるようにも約30センチ高く再建されました。ちなみに薬師寺西塔は東塔と一見似ているが、東塔が裳階(もこし)が白壁なのに対し、西塔は連子窓(れんじまど)になっています。東塔も当初白壁ではなく、連子窓だったそうです。
一般的に三重塔は仏教の祖・お釈迦さまの遺骨(仏舎利(ぶしゃり))を納める仏塔です。仏塔は紀元前3世紀頃から造られるようになったお釈迦さまの遺骨(仏舎利)を祀る饅頭形(半球形)のストゥーパが起源とも言われています。ストゥーパはインド(天竺(てんじく))から中国に伝えられると高層の楼閣建築形式になり、朝鮮半島から日本に伝わったと言われています。現在、飛鳥時代の684年(天武13年)~706年(慶雲3年)に建立された法起寺(ほうきじ)の三重塔が日本最古の三重塔です。
仏舎利は入滅したお釈迦さまが荼毘に付された際の遺骨を指します。お釈迦さま(釈迦牟尼 ゴータマ・シッダッタ)は仏教の開祖で、世界四聖の一人です。ちなみに仏陀とは悟った者・目覚めた者を意味するお釈迦様の尊称です。お釈迦さまは約2,500年前の旧暦の4月8日、インド国境に近いネパールのルンビニーの花園で、父・シャカ族の国王である浄飯王(じょうばんのう・シュッドーダナ)と母・摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)との間に生まれました。お釈迦さまは生まれてすぐに7歩歩き、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と唱えたとも言われています。29歳で出家し、35歳の旧暦の12月8日の夜明け前、明星出現と同時にブッダガヤの菩提樹の下で、悪魔の誘惑に負けずに悟りを開きました。その後約45年間に渡り、インド各地を回って教えを説き、クシナーラで亡くなりました。お釈迦さまの遺骸は火葬され、遺骨は各地のストゥーパに分けて祀られたそうです。
●薬師寺西塔は内陣にお釈迦様の人生を表した釈迦八相(しゃかはっそう)の内、後半の果相の四相(成道(じょうどう)・転法輪(てんぼうりん)・涅槃(ねはん)・分舎利(ぶんしゃり))を表した諸像が安置されています。諸像は2015年(平成27年)に文化勲章受章者である彫刻家・中村晋也(なかむらしんや)が造像し、奉納・安置されました。
一般的に釈迦八相は降兜率(ごうとそつ)・入胎(托胎)・出胎・出家・降魔(ごうま)・成道・転法輪・入滅です。
中村晋也は1926年(大正15年)7月29日に三重県亀山市に生まれました。東京高等師範学校で学び、1949年(昭和24年)に鹿児島大学の講師になりました。また美術家・古賀忠雄(こがただお)に師事して彫刻を制作しました。1966年(昭和41年)にフランスに留学してアぺル・フェノサに師事し、1967年(昭和42年)日展で「華の譜」を出展して特選を受賞しました。1972年(昭和47年)に鹿児島大学の教授になりました。1984年(昭和59年)に日展で「焦躁の旅路」を出展して文部大臣賞を受賞し、1988年(昭和63年)に日本芸術院賞を受賞し、1989年(平成元年)に日本芸術院の会員になりました。1999年(平成11年)に勲三等旭日中綬章を受章し、2002年(平成14年)に紺綬褒章を受章して文化功労者になり、2007年(平成19年)に文化勲章を受章しました。中村晋也は「大久保利通公像」・「若き薩摩の群像」などを制作しました。
薬師寺見どころ