矢田坐久志玉比古神社本殿・矢田坐久志玉比古神社見どころ

矢田坐久志玉比古神社本殿

●矢田坐久志玉比古神社本殿は1908年(明治41年)4月23日に国の重要文化財に指定されました。
●矢田坐久志玉比古神社本殿は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されました。ちなみに矢田坐久志玉比古神社は平安時代前期の859年(貞観元年)に神戸(かんべ)を賜った記録があり、平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)」によると式内大社に列せられ、平安時代前期以前から祀られていたとも言われています。本殿は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)・御炊屋姫命(みかしぎやひめのみこと)を祀っています。ちなみに櫛玉饒速日命は「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)・平安時代初期成立」によると天磐船(あめのいわふね)に乗って空を飛んだと記され、大空を司る航空祖神として信仰されています。また櫛玉饒速日命は天磐船で降臨の際、3本の矢を放ち、その矢が落ちたところに宮居したとも言われ、この地の地名「矢田」の由来になったとも言われています。矢田坐久志玉比古神社では1940年(昭和15年)に9月20日に「航空の日」に指定され、毎年9月20日に「航空祭」が行われ、楼門には奉納されたプロペラが吊るされています。
櫛玉饒速日命は日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」によると天神の子とされ、初代・神武天皇(じんむてんのう)より先に天磐船(あめのいわふね)に乗って大和(奈良)に天降り、長髄彦(ながすねひこ)の妹・三炊屋媛(みかしきやひめ)と結婚して可美真手命(うましまでのみこと)が生まれたとされています。神武天皇の東征の際、長髄彦は服従せず、櫛玉饒速日命は神武天皇が天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫であることを知り、長髄彦を殺して神武天皇に下ったと言われています。櫛玉饒速日命は大和朝廷で軍事・警察を司った物部氏(もののべし)の祖神とされています。
御炊屋姫命(三炊屋媛)は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)の妻で、長髄彦(ながすねひこ)の妹です。御炊屋姫命は櫛玉饒速日命との間に物部氏(もののべし)・穂積氏(ほづみし)・采女氏(うねめし)の祖神である宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)を生んだとされています。御炊屋姫命は奈良県高市郡明日香村の櫛玉命神社(くしたまのみことじんじゃ)、奈良県北葛城郡広陵町の櫛玉比女命神社(くしたまひめのみことのじんじゃ)などに祀られています。
●矢田坐久志玉比古神社本殿は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は木割りが荘重で、蟇股(かえるまた)・木鼻(きばな)の彫刻や脇格子(わきこうし)にはめられた吹寄格子(ふきよせこうし)などが素晴らしいと言われています。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
矢田坐久志玉比古神社

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