元興寺浮図田・元興寺見どころ(修学旅行)

元興寺浮図田

●元興寺浮図田は本堂(極楽堂)・禅室南側にあり、石塔(五輪塔・宝篋印塔・舟型五輪塔(宝篋印塔)板碑)が整然と並べられています。石塔はかつて禅室北側の石舞台に積み上げられていたが、1988年(昭和63年)に現在のように並べられ、浮図田と言われるようになりました。「浮図」は仏陀(ぶっだ)のことで、浮図田は仏像・仏塔が稲田のごとく並ぶ並べられた場所という意味があります。
五輪塔(五輪卒塔婆と)は密教の教義をもとに造られ、地・水・火・風・空という宇宙を構成する五大要素を体現し、大日如来(だいにちにょらい)と阿弥陀如来(あみだにょらい)を塔の形で表したものです。ちなみに五輪塔はインドが発祥とも言われ、本来舎利(遺骨)を入れる容器として使われていたとも言われています。なお五輪塔は一般的に下部から上部に方形の地輪(ちりん)、円形の水輪(すいりん)、三角形(笠形・屋根形)の火輪(かりん)、半月形の風輪(ふうりん)、宝珠形(団形)の空輪(くうりん)によって構成されています。日本では平安時代後期から石塔が多く造られています。
宝篋印塔は墓塔・供養塔などに用いられる仏塔の一種です。宝篋印塔は中国・十国呉越(じっこくごえつ)の最後(第5代)の王・銭弘俶(せんこうしゅく)が延命を願って諸国に配った8万4千塔(金塗塔・銭弘俶塔)が起源とも言われています。なお8万4千塔は古代インドで仏教を守護したアショーカ王(阿育王)がお釈迦様の入滅後に立てられた8本の舎利塔(しゃりとう)の内、7本からお釈迦様の遺骨である仏舎利(ぶっしゃり)を取り出し、新たに8万4千基の小塔(阿育王塔)に分納して各地に分置したという故事に由来しています。
●元興寺浮図田では例年8月23日・24日に中世以来の地蔵信仰を受け継ぐ地蔵会万灯供養(じぞうえまんとうくよう)が行われる際、祈願を墨書した灯明皿に菜種油(なたねあぶら)を注ぎ、藺草(いぐさ)を灯芯として点火する万灯供養が行われます。
地蔵会万灯供養では有縁・無縁の一切の霊を追善します。また家内の繁栄や子供の健やかな成長、そして世界の平和を地蔵菩薩に祈願します。なお地蔵会万灯供養は1948年(昭和23年)に復興され、万灯供養は1988年(昭和63年)の浮図田の整備とともに行われるようになりました。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様(おしゃかさま)が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道(じょうどう)するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(天道(てんどう)・人間道(にんげんどう)・修羅道(しゅらどう)・畜生道(ちくしょうどう)・餓鬼道(がきどう)・地獄道(じごくどう))に苦しむ衆生を教化救済するとされています。日本では地蔵菩薩は「子供の守り神」とされ、小児の成長を見守り、夭折(ようせつ)した小児の死後を救い取ると信じられています。親に先立って死亡した小児は親不孝の報いで苦を受け、親の供養の為に賽の河原(さいのかわら)で石の塔婆(とば)を作るが、鬼が塔婆を破壊し、何度も繰り返さなければならないが、最終的に地蔵菩薩が救済します。また地蔵菩薩は道祖神(どうそじん)と習合した為、全国の街道・辻々に石像が数多く祀られています。
元興寺見どころ

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