興福寺見どころ-修学旅行・観光の簡単まとめ

興福寺

興福寺歴史・見どころを簡単解説

興福寺見どころを解説-修学旅行・観光に役立つ簡単まとめ。1番の見どころである五重塔(国宝)は高さ約50.1メートルで、京都・東寺に次いで国内で2番目の高い五重塔です。五重塔は730年(天平2年)に第45代・聖武天皇の皇后・光明皇后が建立したが、その後5度被災し、1426年(応永33年)頃に再建されました。(興福寺見どころ下記参照)

【興福寺 歴史・簡単解説】奈良世界遺産
興福寺(こうふくじ)とは飛鳥時代後期の669年(天智天皇8年)に藤原鎌足(うじわらのかまたり)の妻・鏡大王(かがみのおおきみ)が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為、鎌足発願の本尊・釈迦三尊(しゃかさんぞん)像や四天王(してんのう)像などを安置する山階寺(やましなでら)を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京(ふじわらきょう)遷都(せんと)とともに移り、地名から厩坂寺(うまやさかでら)と称したが、奈良時代初期の710年(和銅3年)の平城京(へいじょうきょう)遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等(うじわらのふひと)が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。
奈良世界遺産・興福寺(アクセス・・・)基本情報興福寺歴史(起源・・・)

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【興福寺 東金堂・見どころ解説】★★★修学旅行
東金堂(とうこんどう)とは国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。東金堂は奈良時代前期の726年(神亀3年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が叔母で、元正上皇(第44代・元正天皇(げんしょうてんのう))の病気平癒を祈願する為に建立したが、その後平安時代末期の1180年(治承4年)・室町時代中期の1411年(応永18年)など5度の被災と再建を繰り返し、1415年(応永22年)に再建されました。東金堂は唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂を参考にしたとも言われる天平(てんぴょう)様式の建築物です。なお東金堂は本瓦葺(ほんがわらぶき)の寄棟造(よせむねづくり)です。
(興福寺 東金堂・ポイントまとめ)
●東金堂は桁行七間・梁間四間で、正面約25.6メートル・側面約14.1メートルです。
●東金堂は本尊・銅造薬師三尊像(薬師如来(やくしにょらい)坐像・日光菩薩(にっこうぼさつ)立像・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像)などを安置しています。また文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像・維摩居士(ゆいまこじ)坐像・十二神将(じゅうにしんしょう)立像・四天王立像なども安置しています。
●東金堂は建立当初緑色のタイル(緑釉せん(りょくゆうせん))が敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界を表現していたと言われています。
興福寺東金堂(概略概要・・・)

【興福寺 北円堂・見どころ解説】★★修学旅行
北円堂(ほくえんどう)とは国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。北円堂は法隆寺(ほうりゅうじ)の夢殿(ゆめどの)と同じく、平面が八角形の八角円堂(はっかくえんどう)です。北円堂は奈良時代前期の721年(養老5年)に第44代・元正天皇と元明上皇(第43代・元明天皇(げんめいてんのう))が興福寺開基・藤原不比等の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて建立したが、その後平安時代末期の1180年(治承4年)に焼失し、鎌倉時代前期の1210年(承元4年)頃に再建されました。北円堂は現在興福寺山内最古の建物とも言われています。なお北円堂は本瓦葺です。
(興福寺 北円堂・ポイントまとめ)
●北円堂は八角一面が約4.9メートル・対面径約11.7メートルです。
●北円堂は本尊・弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)などを安置しています。また無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像・世親菩薩(せしんぼさつ)立像・木心乾漆(もくしんかんしつ)四天王立像なども安置しています。
●北円堂からはかつて平城京(へいじょうきょう)を一望することができました。
興福寺北円堂(概略概要・・・)

【興福寺 五重塔・見どころ解説】★★★修学旅行
五重塔とは国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)です。五重塔は奈良時代前期の730年(天平2年)に藤原不比等の娘で、第45代・聖武天皇の皇后である光明皇后(こうみょうこうごう)が建立したが、その後5度被災し、室町時代中期の1426年(応永33年)頃に再建されました。なお五重塔は本瓦葺です。
(興福寺 五重塔・ポイントまとめ)
●五重塔は高さ約50.1メートルで、京都・東寺(とうじ)の五重塔に次ぐ、日本で2番目の高さです。初層は幅約8.7メートルです。
●五重塔は初層の須弥壇(しゅみだん)四方に薬師三尊像・釈迦三尊像・阿弥陀三尊(あみださんぞん)像・弥勒三尊像を安置しています。
●五重塔は元々仏教の祖・お釈迦様の遺骨(仏舎利(ぶっしゃり))を納める墓標です。
興福寺五重塔(概略概要・・・)

【興福寺 三重塔・見どころ解説】★修学旅行
三重塔とは国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。三重塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)です。三重塔は平安時代後期の1143年(康治2年)に第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・皇嘉門院(こうかもんいん・藤原聖子(ふじわらのせいし))が建立したが、その後1180年(治承4年)に被災し、鎌倉時代前期(1185年~1274年)に再建されたと言われています。三重塔は北円堂とともに興福寺山内最古の建物とも言われています。なお三重塔は本瓦葺です。
(興福寺 三重塔・ポイントまとめ)
●三重塔は高さ約19.1メートルです。初層は幅約4.8メートルです。
●三重塔では毎年7月7日に三重塔の東の須弥壇に安置されている弁才天(べんさいてん)坐像で弁才天供(べんさいてんく)を行っています。また弁才天坐像とその諸尊(十五童子(じゅうごどうじ))も安置されています。
興福寺三重塔(概略概要・・・)

【興福寺 南円堂・見どころ解説】★★修学旅行
南円堂(なんえんどう)とは重要文化財(1986年(昭和61年)12月20日指定)です。南円堂は八角円堂です。南円堂は平安時代前期の813年(弘仁4年)に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父・藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)の冥福(めいふく)を願って建立したが、江戸時代中期の1741(寛保元年)に立柱され、1789(寛政元年)に再建されました。現在の南円堂は4度目の建物です。なお南円堂は本瓦葺です。南円堂は正面に拝所(はいしょ)付きです。
(興福寺 南円堂・ポイントまとめ)
●南円堂は八角一面が約6.4メートル・対面径約15.5メートルです。
●南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像(国宝)などを安置しています。また四天王立像・法相六祖(ほっそうろくそ)坐像も安置しています。
●南円堂は基壇(きだん)築造の際、和同開珎(わどうかいちん)・隆平永宝(りゅうへいえいほう)を撒き、地神(ちじん)を鎮めたことが発掘調査で分かったそうです。
●南円堂は西国三十三所の第9番札所になっています。
興福寺南円堂(概略概要・・・)

【興福寺 大湯屋・見どころ解説】
大湯屋(おおゆや)とは重要文化財(1953年(昭和28年)3月31日指定)です。大湯屋は風呂場で、地面に直接鉄の湯釜(奈良県指定文化財)2個を据えています。大湯屋は平安時代に建立されたが、その後度々被災し、五重塔と同じ室町時代中期の1426年(応永33年)頃に再建されました。なお大湯屋は本瓦葺の西面入母屋造(いりもやづくり)・東面切妻造(きりづまづくり)です。
(興福寺 大湯屋・ポイントまとめ)
●大湯屋は桁行四間・梁間四間で、正面約11.7メートル・側面約10.6メートルです。、
●大湯屋では湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたりしていたそうです。
興福寺大湯屋(概略概要・・・)

【興福寺 中金堂・見どころ解説】★★★修学旅行
中金堂は奈良時代初期の710年(和銅3年)に建立されたが、平安時代中期の1046年(永承元年)から7度焼失し、その後6度再建され、江戸時代後期の1819年(文政2年)に仮金堂が建立されたが、2000年(平成12年)に解体されました。中金堂は1991年(平成3年)に境内整備委員会が発足し、2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われました。
(興福寺 中金堂・ポイントまとめ)
●中金堂は幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルで、創建時と同規模と言われています。
●中金堂は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像や薬王菩薩(やくおうぼさつ)像(重要文化財)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像(重要文化財)などを安置しています。
●中金堂は内陣に法相宗(ほっそうしゅう)の14人の祖師を日本画家・畠中光享(はたなかこうきょう)が描いた法相柱があります。
●中金堂には日本産の木材だけでなく、カメルーン産のアパ(アフリカ欅(けやき))・カナダ産のイエローシーダー(アメリカヒバ(檜(ひのき)の一種))も使われています。
興福寺中金堂(概略概要・・・)

【興福寺 国宝館・見どころ解説】★修学旅行
所有する絵画・仏像・工芸品・典籍・文書・歴史資料・考古遺物など文化財を国宝館で収蔵・展示しています。国宝館は1959年(昭和34年)に食堂(じきどう)跡に建設されました。なお国宝館は鉄筋コンクリート造の耐火式収蔵庫です。
(興福寺 国宝館・ポイントまとめ)
●国宝館の地下には食堂の遺構がそのままの形で保存されています。

【興福寺 仏像・見どころ解説】★★★修学旅行
仏像にはいずれも国宝である文殊菩薩坐像(東金堂)・維摩居士坐像(東金堂)・四天王立像(東金堂)・十二神将立像(東金堂)・弥勒仏坐像(北円堂)・無著立像と世親立像(北円堂)・乾漆四天王立像(北円堂)・不空羂索観音坐像(南円堂)・四天王立像(南円堂)・四天王立像(中金堂)・八部衆立像8躯(国宝館)・十大弟子立像6躯(国宝館)・金剛力士立像2躯(国宝館)・天燈鬼立像と龍燈鬼立像(国宝館)・法相六祖坐像 6躯(南円堂)・十二神将像(国宝館)・銅造仏頭(国宝館)・千手観音立像(国宝館)などがあります。
(興福寺 阿修羅像・ポイントまとめ)
●阿修羅(あしゅらぞう)像(八部衆)は国宝で、国宝館で収蔵・公開されています。阿修羅像は奈良時代に造仏された像高約153.4センチの脱活乾漆造(だつかつかんしつぞう)です。阿修羅像は三面六臂(さんめんろっぴ(顔が3つ・手が6本))で、少年のような顔だちをしています。阿修羅像は上半身裸で条帛(じょうはく)・天衣(てんい)を掛け、胸飾りと臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)を付け、裳(も)を纏い、板金剛(いたこんごう)を履いています。
(興福寺 銅造仏頭・ポイントまとめ)
●銅造仏頭(ぶっとう)は国宝で、国宝館で収蔵・公開されています。銅造仏頭は飛鳥時代後期の685年(天武天皇14年)に第40代・天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の為に造仏した飛鳥山田寺の本尊の頭部です。銅造仏頭は総高約98.3センチの銅造(鍍金)です。銅造仏頭は鎌倉時代初期の1187年(文治3年)に東金堂の本尊・薬師如来像として迎えられたが、室町時代前期の1411年(応永18年)に東金堂とともに被災し、1415年(応永22年)に焼け残った頭部が再建された現在の東金堂の本尊・銅造薬師三尊像台座に納められ、1937年(昭和12年)に発見されました。

【興福寺 御朱印授与所・見どころ解説】
御朱印授与所は中金堂の東側の勧進所(西国四十九薬師霊場第4番・神仏霊場16番)・南円堂納経所(西国三十三所霊場第9番・神仏霊場16番)になります。勧進所では「中金堂」・「東金堂」・「東金堂の御詠歌」・「令興福力」・「千手観音(国宝館)」、南円堂納経所では「南円堂」・「南円堂の御詠歌」・「令興福力」・「一言観音堂」・「一言観音堂の御詠歌」・「北円堂(開扉中のみ)」の御朱印を授与しています。なお興福寺勧進所は9:00~16:30、南円堂納経所9:00~16:30です。(要確認)

【興福寺 追儺会・見どころ解説】
毎年節分の日に追儺会(ついなえ)・鬼追式(おにおいしき)を行っています。追儺会では東金堂の本尊・薬師三尊像(重要文化財)の前で薬師悔過(やくしけか)の法要が行われます。法要終了後、6匹の鬼(赤鬼・青鬼・黒鬼・3匹の子鬼)を毘沙門天(びしゃもんてん)が退治する鬼追式が行われます。
(興福寺 追儺会・ポイントまとめ)
●赤鬼は貪欲(どんよく)、青鬼は怒り(いかり)、黒鬼は愚痴(ぐち)を表し、貪欲・怒り・愚痴は人間の善根(ぜんこん)を毒する三毒とされています。
興福寺追儺会

【興福寺 猿沢池・見どころ解説】★★修学旅行
猿沢池は奈良時代前期の749年(天平21年)に放生会(ほうじょうえ)を行う放生池として造られました。明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって荒廃し、猿沢池は1880年(明治13年)2月14日に開園した奈良公園の一部になりました。
(興福寺 猿沢池・ポイントまとめ)
●猿沢池には澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・ 魚が七分に水三分という七不思議が残されています。
猿沢池(奈良公園)(アクセス・・・)

【興福寺 菩提院大御堂・見どころ解説】
菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)は子院です。菩提院大御堂には法相宗を中国から伝えた玄昉(げんぼう)が住んでいたとも言われています。なお大御堂は安土桃山時代の1580年(天正8年)に再建されました。
(興福寺 菩提院大御堂・ポイントまとめ)
●菩提院大御堂は本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)像(重要文化財)・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像・稚児観音菩薩(ちごかんのんぼさつ)像を安置しています。
●菩提院大御堂は十三鐘(じゅうさんかね)とも言われています。

【興福寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ奈良世界遺産・興福寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

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