興福寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識

興福寺(Kofuku-ji Temple)

興福寺の見どころは中金堂・東金堂・北円堂・五重塔・南円堂などです。

興福寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには高さ約50.1メートルで、シンボルである五重塔(国宝)、西国三十三所の札所である南円堂(重要文化財)、本尊を安置する中金堂などがあります。また東金堂・北円堂・三重塔等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。

【興福寺の歴史・簡単概要】

興福寺は669年(天智天皇8年)に藤原鎌足の妻・鏡大王が夫・藤原鎌足の病気平癒の祈願の為、鎌足発願の本尊・釈迦三尊像や四天王像などを安置する山階寺を山背国山階陶原(京都市山科区)に創建したのが起源と言われています。釈迦三尊像は645年(大化元年)頃に藤原鎌足が造立したと言われています。672年(天武天皇元年)の藤原京遷都とともに移り、地名から厩坂寺と称したが、710年(和銅3年)の平城京遷都とともに藤原鎌足の子・藤原不比等が現在の場所に移し、興福寺と名付けました。

【本尊・薬師三尊を祀る天平様式の東金堂(国宝)】

  • 東金堂の概要:東金堂は修学旅行・観光で見逃せません。東金堂は中金堂が再建されるまでは中心的な堂宇でした。東金堂は本尊・銅造薬師三尊像(薬師如来(やくしにょらい)坐像・日光菩薩(にっこうぼさつ)立像・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像)を安置しています。また文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像・維摩居士(ゆいまこじ)坐像・十二神将(じゅうにしんしょう)立像・四天王(してんのう)立像も安置しています。
  • 東金堂の歴史:東金堂は1415年(応永22年)に再建されました。ちなみに東金堂は726年(神亀3年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が叔母で、元正上皇(第44代・元正天皇(げんしょうてんのう))の病気平癒を祈願する為に建立したが、その後1180年(治承4年)・1411年(応永18年)など5度の被災と再建を繰り返しました。
  • 東金堂の様式:東金堂は唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂を参考にしたとも言われる天平(てんぴょう)様式です。東金堂は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。東金堂は正面・奥行が桁行七間・梁間四間です。正面約25.6メートル・側面約14.1メートルです。
  • 東金堂の豆知識:東金堂は創建当初に緑色のタイル(緑釉せん(りょくゆうせん))が敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界を表現していたと言われています。
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【法隆寺の夢殿と同じ八角円堂の北円堂(国宝)】

  • 北円堂の概要:北円堂は三重塔とともに山内最古の建物とも言われています。北円堂は本尊・弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)を安置しています。また無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像・世親菩薩(せしんぼさつ)立像・四天王立像なども安置しています。北円堂は春・秋に内陣が一般公開されます。
  • 北円堂の歴史:北円堂は1210年(承元4年)頃に再建されました。北円堂は721年(養老5年)に第44代・元正天皇と元明上皇(第43代・元明天皇(げんめいてんのう))が藤原不比等の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて建立したが、その後1180年(治承4年)に焼失しました。
  • 北円堂の様式:北円堂は法隆寺(ほうりゅうじ)の夢殿(ゆめどの)と同じく、平面が八角形の八角円堂(はっかくえんどう)です。北円堂は屋根が本瓦葺です。北円堂は八角一面が約4.9メートル・対面径約11.7メートルです。
  • 北円堂の豆知識:北円堂からはかつて平城京(へいじょうきょう)を一望することができました。北円堂の西側は少し低くなり、商店街などがあります。

【高さ約50.1メートルで、シンボル・ランドマークである五重塔(国宝)】

  • 五重塔の概要:五重塔は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。五重塔は高さ約50.1メートルで、興福寺だけでなく、奈良のシンボルになっています。またランドマークにもなっています。五重塔は南側の猿沢池越しの光景が絶景と言われています。五重塔は京都の東寺(とうじ)の五重塔に次ぐ、日本国内で2番目の高い五重塔です。五重塔は初層の須弥壇(しゅみだん)四方に薬師三尊像・釈迦三尊(しゃかさんぞん)像・阿弥陀三尊(あみださんぞん)像・弥勒三尊像を安置しています。
  • 五重塔の歴史:五重塔は1426年(応永33年)頃に再建されました。ちなみに五重塔は730年(天平2年)に藤原不比等の娘で、第45代・聖武天皇の后・光明皇后(こうみょうこうごう)が建立したが、その後5度被災しました。
  • 五重塔の様式:五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。五重塔は初層が幅約8.7メートルです。
  • 五重塔の豆知識:五重塔は元々、仏教の祖・お釈迦様の遺骨(仏舎利(ぶっしゃり))を納める墓標です。

【高さ約19.1メートルの三重塔(国宝)】

  • 三重塔の概要:三重塔は修学旅行・観光で見逃せません。三重塔は北円堂とともに山内最古の建物とも言われているが、五重塔に比べるとあまり知られていません。三重塔は高さ約19.1メートルで、初層は幅約4.8メートルです。三重塔は東の須弥壇(しゅみだん)に弁才天(べんさいてん)坐像を安置しています。また十五童子(じゅうごどうじ))も安置しています。
  • 三重塔の歴史:三重塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に再建されたと言われています。三重塔は北円堂とともに山内最古の建物と言われています。ちなみに三重塔は1143年(康治2年)に第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・皇嘉門院(こうかもんいん・藤原聖子(ふじわらのせいし))が建立し、その後1180年(治承4年)に被災しました。
  • 三重塔の様式:三重塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。
  • 三重塔の仏像:弁財天はかつて興福寺の塔頭・世尊院(せそんいん)に安置されていたが、明治時代(1868年~1912年)の神仏分離令(廃仏毀釈(はいぶつきしゃく))後に三重塔に移されたそうです。
  • 三重塔の行事:例年7月7日に弁才天供(べんさいてんく)が行われ、特別開扉されています。

【西国三十三所の札所である南円堂(重要文化財)】

  • 南円堂の概要:南円堂は修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。南円堂は西国三十三所の第9番札所になっており、観音信仰の参拝者で参拝が絶えません。南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像(国宝)を安置しています。また四天王立像・法相六祖(ほっそうろくそ)坐像なども安置しています。
  • 南円堂の歴史:南円堂は1741年(寛保元年)に立柱され、1789年(寛政元年)に再建されました。南円堂は4度目です。ちなみに南円堂は813年(弘仁4年)に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父・藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)の冥福(めいふく)を願って建立しました。
  • 南円堂の様式:南円堂は八角円堂で、正面に拝所(はいしょ)付きです。南円堂は屋根が本瓦葺です。南円堂は八角一面が約6.4メートル・対面径約15.5メートルです。
  • 南円堂の調査:南円堂は基壇(きだん)築造の際、和同開珎(わどうかいちん)・隆平永宝(りゅうへいえいほう)を撒き、地神(ちじん)を鎮めたことが発掘調査で分かりました。

【鉄の湯釜を据えた蒸し風呂の大湯屋(重要文化財)】

  • 大湯屋の概要:大湯屋は風呂場です。大湯屋は地面に直接鉄の湯釜(奈良県指定文化財)2個を据えています。大湯屋では湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたそうです。
  • 大湯屋の歴史:大湯屋は五重塔と同じ1426年(応永33年)頃に再建されました。ちなみに大湯屋は平安時代(794年~1185年)に建立されたが、その後度々被災しました。
  • 大湯屋の様式:大湯屋は屋根が西面入母屋造(いりもやづくり)・東面切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。大湯屋は正面・奥行が桁行四間・梁間四間です。正面約11.7メートル・側面約10.6メートルです。

【本尊・釈迦如来を祀り、本堂である中金堂】

  • 中金堂の概要:中金堂は修学旅行・観光で見る価値があります。中金堂は幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルで、山内最大の建物です。中金堂は興福寺の本堂で、本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像や薬王菩薩(やくおうぼさつ)像(重要文化財)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像(重要文化財)などを安置しています。中金堂は内陣に法相宗(ほっそうしゅう)の14人の祖師を日本画家・畠中光享(はたなかこうきょう)が描いた法相柱があります。
  • 中金堂の歴史:中金堂は1991年(平成3年)に境内整備委員会が発足し、2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われました。ちなみに中金堂は710年(和銅3年)に建立されたが、1046年(永承元年)から7度焼失し、その後6度再建されました。1819年(文政2年)に仮金堂が建立されたが、2000年(平成12年)に解体されました。
  • 中金堂の様式:中金堂は一見二階建てに見える一重もこし付きで、屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。中金堂は創建時と同規模と言われています。中金堂には日本産の木材だけでなく、カメルーン産のアパ(アフリカ欅(けやき))・カナダ産のイエローシーダー(アメリカヒバ(檜(ひのき)の一種))も使われています。

【寺宝を収蔵・展示する国宝館】

  • 国宝館の概要:所有する絵画・仏像・工芸品・典籍・文書・歴史資料・考古遺物など文化財を国宝館で収蔵・展示しています。国宝館は修学旅行や観光で見る価値があるスポットです。文化財には阿修羅(国宝)・銅造仏頭(国宝)などがあります。
  • 国宝館の歴史:国宝館は1959年(昭和34年)に食堂(じきどう)跡に建設されました。地下には食堂の遺構がそのままの形で保存されています。
  • 国宝館の様式:国宝館は鉄筋コンクリート造の耐火式収蔵庫です。
  • 阿修羅の概要:阿修羅は奈良時代(710年~794年)に造仏された像高約153.4センチの脱活乾漆造(だつかつかんしつぞう)です。阿修羅像は三面六臂(さんめんろっぴ(顔が3つ・手が6本))で、少年のような顔だちをしています。阿修羅像は上半身裸で条帛(じょうはく)・天衣(てんい)を掛け、胸飾りと臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)を付け、裳(も)を纏い、板金剛(いたこんごう)を履いています。
  • 銅造仏頭の概要:銅造仏頭は685年(天武天皇14年)に第40代・天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の為に造仏した飛鳥山田寺の本尊の頭部です。銅造仏頭は総高約98.3センチの銅造(鍍金)です。銅造仏頭は1187年(文治3年)に東金堂の本尊・薬師如来像として迎えられたが、1411年(応永18年)に東金堂とともに被災し、1415年(応永22年)に焼け残った頭部が再建された現在の東金堂の本尊・銅造薬師三尊像台座に納められ、1937年(昭和12年)に発見されました。

【三大名月鑑賞地を数えられた猿沢池】

  • 猿沢池の概要:猿沢池は興福寺南側にある周囲約360メートルの人工池です。10分弱で1周できます。猿沢池は古くからの景勝地で、京都の大覚寺(だいかくじ)大沢池(おおさわのいけ)・滋賀の石山寺(いしやまでら)とともに三大名月鑑賞地に数えられました。猿沢池は「猿沢池月」として、「佐保川蛍」・「東大寺鐘」・「春日野鹿」・「南円堂藤」・「雲居坂雨」・「轟橋旅人」・「三笠山雪」とともに南都八景(なんとはっけい)に数えられました。
  • 猿沢池の歴史:猿沢池は749年(天平21年)に放生会(ほうじょうえ)を行う放生池として造られました。明治維新後の神仏分離(廃仏毀釈)によって荒廃し、猿沢池は1880年(明治13年)2月14日に開園した奈良公園の一部になりました。
  • 猿沢池の七不思議:猿沢池には澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・ 魚が七分に水三分という七不思議が残されています。

【子院・菩提院大御堂】

  • 菩提院大御堂の概要:菩提院大御堂(ぼだいいんおおみどう)は興福寺の子院です。菩提院大御堂は本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)像(重要文化財)・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像・稚児観音菩薩(ちごかんのんぼさつ)像を安置しています。菩提院大御堂は十三鐘(じゅうさんかね)とも言われています。
  • 菩提院大御堂の歴史:菩提院大御堂は法相宗を中国から伝えた玄昉(げんぼう)が住んでいたとも言われています。大御堂は1580年(天正8年)に再建されました。

【興福寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・興福寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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