興福寺の見どころ完全ガイド|五重塔などの観光スポット解説

興福寺(Kofuku-ji Temple)

興福寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット

興福寺は世界遺産に登録された奈良屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。興福寺にはシンボルである五重塔をはじめ、西国三十三所の札所である南円堂、本堂である中金堂など多彩な見どころが揃っています。このページでは文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。

【五重塔(国宝)の見どころ解説|興福寺最大の見どころ】

五重塔は興福寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。五重塔は京都・東寺(とうじ)の五重塔に次いで日本国内で2番目に高い約50.1メートルで、興福寺だけでなく、奈良のシンボル・ランドマークになっています。五重塔は南側の猿沢池越しが絶景と言われ、興福寺の中で一番写真・SNS映えし、人気の撮影スポットになっています。五重塔は初層の須弥壇(しゅみだん)四方に薬師三尊像・釈迦三尊・阿弥陀三尊像・弥勒三尊像を安置し、厳かな空間になっています。
★五重塔は730年(天平2年)に藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘で、聖武天皇(しょうむてんのう)の后・光明皇后(こうみょうこうごう)が創建したが、その後5度被災しました。現在(6代目)の五重塔は1426年(応永33年)頃に再建されました。
★五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。

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【東金堂(国宝)の見どころ解説|西国薬師四十九霊場の札所】

東金堂は中金堂が再建されるまで興福寺の中で中心的な建物で、訪れたいスポットです。東金堂は本尊・薬師三尊像(薬師如来(やくしにょらい)坐像・日光菩薩(にっこうぼさつ)立像・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像)などを安置し、厳粛な雰囲気に包まれ、西国薬師四十九霊場の第4番札所になっています。
★東金堂は726年(神亀3年)に聖武天皇が叔母で、元正上皇(元正天皇(げんしょうてんのう))の病気平癒を祈願する為に創建したが、その後被災と再建を繰り返しました。現在(5代目)の東金堂は1415年(応永22年)に再建されました。
★東金堂は唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂を参考にしたとも言われる天平(てんぴょう)様式で、建築物として価値があります。東金堂は正面約25.6メートル・側面約14.1メートルで、屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
★東金堂は創建当初に緑色のタイル(緑釉せん(りょくゆうせん))が敷かれ、薬師如来の浄瑠璃光(じょうるりこう)世界を表現していたのが豆知識です。創建当初の華麗さが伺えます。

【北円堂(国宝)の見どころ解説|興福寺最古の建物】

北円堂は三重塔とともに興福寺の中で最古の建物と言われ、歴史的価値があります。北円堂は本尊・弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝)などを安置しています。北円堂は通常非公開で、例年春と秋にしか一般公開されないが、訪れたいスポットです。北円堂の西側は少し低くなっており、かつて平城京(へいじょうきょう)を一望することができ、その立地も歴史的な魅力になっています。
★北円堂は721年(養老5年)に元正天皇と元明上皇(元明天皇(げんめいてんのう))が藤原不比等の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて創建したが、1180年(治承4年)に焼失しました。現在(3代目)の北円堂は1210年(承元4年)頃に再建されました。
★北円堂は法隆寺の夢殿(ゆめどの)と同じ平面が八角形の八角円堂(はっかくえんどう)で、屋根が本瓦葺です。夢殿に通じる独特の意匠が見どころです。

【南円堂(重要文化財)の見どころ解説|西国三十三所の札所】

南円堂は西国三十三所の第9番札所になっており、訪れるべきスポットです。24時間参拝でき、参拝者が絶えない人気の札所です。南円堂は本尊・不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのん)像(国宝)などを安置しています。
★南円堂は813年(弘仁4年)に藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が父・藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)の冥福(めいふく)を願って創建しました。現在(5代目)の南円堂は1741年(寛保元年)に立柱され、1789年(寛政元年)に再建されました。
★南円堂は八角円堂で、屋根が本瓦葺です。正面に拝所(はいしょ)付きです。
★南円堂は基壇(きだん)築造の際、和同開珎(わどうかいちん)・隆平永宝(りゅうへいえいほう)を撒き、地神(ちじん)を鎮めたことが発掘調査で分かったのが豆知識です。当時の地鎮祭の実態を想像させる興味深い史料になっています。

【中金堂の見どころ解説|興福寺の本堂】

中金堂は興福寺の本堂で、訪れるべきスポットです。中金堂は幅約37メートル・奥行き約23メートル・高さ約21メートルのスケールで、興福寺最大の建物です。中金堂は本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)像や薬王菩薩(やくおうぼさつ)像(重要文化財)・薬上菩薩(やくじょうぼさつ)像(重要文化財)などを安置し、内陣には日本画家・畠中光享(はたなかこうきょう)が法相宗(ほっそうしゅう)の14人の祖師を描いた法相柱があり、厳粛な雰囲気に包まれています。釈迦如来は興福寺を訪れた際に最初にお参りしたい仏様です。
★中金堂は710年(和銅3年)に創建されたが、1046年(永承元年)から焼失と再建を繰り返し、仮金堂が建立されたこともありました。現在(9代目)の中金堂は2010年(平成22年)10月に立柱式が行われ、2018年(平成30年)10月に落慶法要が行われました。
★中金堂は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)で、一重もこし付きです。中金堂は創建時と同規模で、日本産の木材だけでなく、カメルーン産のアパ(アフリカ欅(けやき))・カナダ産のイエローシーダー(アメリカヒバ(檜(ひのき)の一種))が使われています。

【三重塔(国宝)の見どころ解説|興福寺最古の建物】

三重塔は境内の低い場所に建立され、見逃しやすい見どころです。三重塔は北円堂とともに興福寺最古の建物と言われ、歴史的価値があります。三重塔は高さ約19.1メートル・初層幅約4.8メートルで、弁才天(べんさいてん)坐像などを安置しています。例年7月7日に弁才天供(べんさいてんく)が行われ、特別開扉されています。
★三重塔は1143年(康治2年)に崇徳天皇(すとくてんのう)の中宮・皇嘉門院(こうかもんいん・藤原聖子(ふじわらのせいし))が創建し、1180年(治承4年)に被災しました。現在(2代目)の三重塔は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に再建されたと言われています。
★三重塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。
★弁財天はかつて興福寺の塔頭・世尊院(せそんいん)に安置されていたが、明治時代の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で三重塔に移されたそうです。

【大湯屋(重要文化財)の見どころ解説|】

大湯屋は風呂場で、地面に直接鉄の湯釜(奈良県指定文化財)2個を据えています。大湯屋では湯を沸かし、東の建物に湯を送って蒸し風呂にしたそうです。現在と違う入浴方法が分かる貴重な資料です。
★大湯屋は平安時代(794年~1185年)に創建されたが、その後度々被災しました。現在の大湯屋は五重塔と同じ1426年(応永33年)頃に再建されました。
★大湯屋は正面約11.7メートル・側面約10.6メートルで、屋根は西面が入母屋造(いりもやづくり)・東面が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。

【国宝館の見どころ解説|興福寺の博物館】

国宝館は興福寺の博物館で、絵画・仏像・工芸品・典籍・文書・歴史資料・考古遺物などの文化財をで収蔵・展示しています。文化財の目玉には阿修羅(国宝)・銅造仏頭(国宝)などがあります。
★国宝館は1959年(昭和34年)に食堂(じきどう)跡に建設されました。地下には食堂の遺構がそのままの形で保存されています。
★国宝館は鉄筋コンクリート造の耐火式収蔵庫です。
★阿修羅は奈良時代(710年~794年)に造仏された像高約153.4センチの脱活乾漆造(だつかつかんしつぞう)です。阿修羅像は三面六臂(さんめんろっぴ(顔が3つ・手が6本))で、少年のような顔だちをしています。阿修羅像は上半身裸で条帛(じょうはく)・天衣(てんい)を掛け、胸飾りと臂釧(ひせん)・腕釧(わんせん)を付け、裳(も)を纏い、板金剛(いたこんごう)を履いています。
★銅造仏頭は685年(天武天皇14年)に天武天皇が亡き蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の為に造仏した飛鳥山田寺の本尊の頭部です。銅造仏頭は総高約98.3センチの銅造(鍍金)です。銅造仏頭は1187年(文治3年)に東金堂の本尊・薬師如来像として迎えられたが、1411年(応永18年)に東金堂とともに被災し、1415年(応永22年)に焼け残った頭部が再建された東金堂の本尊・薬師三尊像の台座に納められ、1937年(昭和12年)に発見されました。

【猿沢池の見どころ解説|三大名月鑑賞地】

猿沢池は興福寺の南側に位置する周囲約360メートルの人工池です。10分弱で1周でき、少し時間があれば体験できる見どころです。猿沢池は古くからの景勝地で、京都の大覚寺(だいかくじ)大沢池(おおさわのいけ)・滋賀の石山寺(いしやまでら)とともに三大名月鑑賞地に数えられました。また「猿沢池月」として、「佐保川蛍」・「東大寺鐘」・「春日野鹿」などとともに南都八景(なんとはっけい)に数えられました。猿沢池は奈良を代表的する景観のひとつで、定番フォトスポットです。
★猿沢池は749年(天平21年)に放生会(ほうじょうえ)を行う放生池として造られました。明治維新後の神仏分離令(廃仏毀釈)で荒廃し、1880年(明治13年)に開園した奈良公園の一部になりました。
★猿沢池には澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・ 魚が七分に水三分という七不思議が残されています。

【興福寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
●住所:奈良県奈良市登大路町48
●アクセス:近鉄奈良線の「奈良駅」下車徒歩約7分、市内循環バスの「県庁前」下車徒歩すぐ、「JR奈良駅」下車徒歩約18分
*参考・・・興福寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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