元興寺の見どころ完全ガイド|禅室などの観光スポット解説

元興寺(Gango-ji Temple)

元興寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット

元興寺は世界遺産に登録された奈良屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。元興寺には浄土曼荼羅を祀る極楽坊本堂をはじめ、春日影向堂と言われた禅室、東大寺西南院から移築された東門など多彩な見どころが揃っています。このページでは文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。

【極楽坊本堂(国宝)の見どころ解説|元興寺最大の見どころ】

極楽坊本堂は元興寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。極楽坊本堂(極楽堂)は元興寺の本堂で、本尊・智光曼荼羅(ちこうまんだら)を祀って曼荼羅堂とも言われ、厳かな雰囲気に包まれています。智光曼荼羅は元興寺を訪れた際に最初にお参りしたい本尊です。極楽坊本堂は智光曼荼羅(阿弥陀浄土図)を祀った為、南都(奈良)における浄土教(じょうどきょう)発祥の聖地と言われています。
★極楽坊本堂は奈良時代(710年~794年)に禅室とともに僧侶が住む僧房として建立され、往生人智光法師(ちこうほうし)・礼光法師(らいこうほうし)などが住したと言われています。僧房は東西に長い建物で、1244年(寛元2年)に改築され、僧房の東側が極楽坊本堂になりました。内陣の角柱や天井板に奈良時代の部材が使われ、現役の建物に使われている世界最古の部材と言われ、歴史的に価値があります。
★極楽坊本堂は内陣・外陣に分かれ、内陣が板敷き、それを囲む外陣が畳敷きです。内陣の周囲を念仏を唱えながら歩く行道(ぎょうどう)に適し、当時の信仰を感じることができます。屋根は寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。

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【禅室(国宝)の見どころ解説|春日影向堂】

禅室は元々極楽坊本堂とともに一棟の建物で、訪れるべきスポットです。禅室はかつて春日影向堂(かすがようごうどう)とも言われました。禅室は近世に客殿、近代に学校舎としても使われた歴史があります。
★禅室は奈良時代(710年~794年)に極楽坊本堂とともに僧侶が住む僧房として建立されたと言われています。僧房は東西に長い建物で、1244年(寛元2年)に改築され、僧房の西側が禅室になりました。
★禅室は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
★禅室は2000年(平成12年)の文化財研究所の発表によると582年(敏達天皇11年)に伐採の樹木が使われていることが分かったそうです。法隆寺の西院伽藍よりも古い樹木が使用されているとも言われています。

【古瓦の見どころ解説|丸瓦・平瓦】

古瓦(丸瓦・平瓦)は極楽坊本堂の北流(北側)と西流(西側)、禅室の南流(南側)東部分に使われています。極楽坊本堂の西南隅、禅室の南東隅には古代の軒平瓦も残されています。
★古瓦は飛鳥時代(592年~710年)・奈良時代(710年~794年)・平安時代(794年~1185年)・鎌倉時代(1185年~1333年)に焼かれました。飛鳥時代の古瓦は奈良・飛鳥に創建された元興寺の前身・法興寺に使われていたが、710年(和銅3年)の平城京遷都ととも現在の元興寺に移されて代々使われてきた貴重な部材です。
★飛鳥時代・奈良時代の古瓦は上部が細く、下部が広い形状です。古瓦は重ねて葺く方法が行基葺(ぎょうきぶき)と言われ、現代では珍しい葺き方です。

【五重小塔(国宝)の見どころ解説|建造物】

五重小塔は高さ約5.5メートルです。内部構造まで忠実に造られ、工芸品ではなく、建造物として国宝に指定されています。五重小塔は小塔院にあった建物内に安置されていたと言われるが、現在は収蔵庫に安置されています。
★五重小塔は奈良時代(710年~794年)に造られました。奈良時代の五重塔の構造を現在に伝える唯一の資料と言われ、歴史的に価値があります。仏塔建築に興味がある方におすすめの見どころです。
★五重小塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦形板葺(ほんがわらがたいたぶき)です。

【東門(重要文化財)の見どころ解説|元興寺の正門】

東門は元興寺の正門で、観光客や修学旅行生を向かい入れています。
★東門は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に東大寺(とうだいじ)西南院 (さいなんいん)の門として建立され、応永年間(1394年~1427年)に元興寺に移されました。元興寺と東大寺の関係を知る資料です。
★東門は四脚門(しきゃくもん)で、屋根が切妻造の本瓦葺です。

【小子坊(奈良県指定文化財)の見どころ解説|沙弥寮】

小子坊はかつて僧坊の沙弥寮(さみりょう)でした。その後1663年(寛永3年)に極楽院の庫裏に改築され、1949年(昭和24年)に極楽坊本堂の南側に移されて増築され、極楽院保育所の建物にもなり、多彩な歴史を持っています。

【かえる石の見どころ解説|大坂城】

かえる石(蛙石)は境内北側にあるガマガエルのような石で、ユニークな見どころになっています。元興寺ではかえる石のかつての有縁無縁の一切の霊を供養し、極楽カエルに成就させたと言われています。かえる石は1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で大阪城が落城した際、関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の側室・淀殿(よどどの)の遺骸(いがい)が下に埋められ、怨念がこもっているとも言われていたそうです。例年7月7日にかえる石供養を行っています。
★かえる石は元々大阪・河内の川縁にあったが、豊臣秀吉が気に入り、大坂城内に移したと言われています。その後1958年(昭和33年)に元興寺に移されてきたそうです。
★かえる石は古来から奇石として有名で、江戸時代に奇石を集めた「雲根志(木内石亭(きうちせきてい)著)」に記されていたそうです。

【塔跡・小塔院跡(史跡)の見どころ解説|元興寺の旧伽藍】

塔跡・小塔院跡は元興寺の旧伽藍で、塔跡は東大塔院五重塔の基壇、小塔院跡は西小塔院の一部です。塔跡・小塔院跡は大部分が道路や民家の下に埋もれているが、それでも往時の壮大な伽藍配置を伝えています。
★塔跡には寺伝によると総高約72.7メートルの五重塔が建立されていたが、1859年(安政6年)に焼失しました。ただ五重塔は実際に高さが50メートルぐらいだったとも言われています。

【ならまちの見どころ解説|元興寺の旧境内】

ならまち(奈良町)は歴史的に元興寺の境内で、塔跡・小塔院跡が残されています。ならまちは江戸時代(1603年~1868年)以降の町屋が残され、観光や修学旅行で町歩きを楽しめる見どころです。
★ならまちは平城京の外京に置かれた国家鎮護の寺院・神社などの門前郷として発達しました。しかし1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討で被害を受け、中世以降に筆・墨・刀・酒・醤油などの産業が発展し、江戸時代には商工業都市が形成されました。

【元興寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
●住所:奈良県奈良市中院町11
●アクセス:近鉄奈良線の「近鉄奈良駅」下車徒歩約15分、JR奈良線の「奈良駅」下車徒歩約20分、奈良交通バスの「田中町」下車徒歩約5分または「福智院」下車徒歩約5分
*参考・・・元興寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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