元興寺見どころ-修学旅行・観光のポイント

元興寺

元興寺見どころ簡単解説

元興寺見どころを解説しています。修学旅行・観光に役立つ簡単まとめを提供。元興寺で見逃せない極楽坊本堂(国宝)・禅室(国宝)・古瓦などを解説しています。元興寺有数の見どころである極楽坊本堂・禅室の古瓦には飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代などに焼かれたものがあります。(元興寺見どころ下記参照)

【元興寺 歴史・簡単解説】奈良世界遺産
元興寺(がんごうじ)とは古墳時代の588年(崇峻天皇元年)に蘇我馬子(そがのうまこ)が甥で、第32代・崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位した際、法興寺(ほうこうじ)を創建したのが起源と言われています。ちなみに法興寺は地名から飛鳥寺とも言われたそうです。奈良時代初期の710年(和銅3年)の平城京(へいじょうきょう)遷都後の718年(養老2年)に平城京に移され、寺号も法興寺から元興寺に改められました。寺号は「仏法元興之場、聖教最初の地」の言葉に由来するそうです。その後平安時代末期からの末法思想(まっぽうしそう)の流行や阿弥陀(あみだ)信仰の隆盛により、曼荼羅(まんだら)を祀る堂は極楽坊(ごくらくぼう)とも言われ、発展しました。室町時代中期の1451年(宝徳3年)の土一揆で炎上し、曼荼羅を祀る極楽院・五重塔を中心とした観音堂・小塔院の3つに分裂しました。
奈良世界遺産・元興寺(アクセス・・・)基本情報

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【元興寺-本堂・簡単解説】★★★修学旅行
本堂(極楽坊本堂)とは見逃せない国宝(1955年(昭和30年)2月2日指定)です。本堂はかつて禅室とともに奈良時代に往生人智光法師(ちこうほうし)・礼光法師(らいこうほうし)などの僧侶が住んでいた僧房だったが、鎌倉時代前期の1244年(寛元2年)に改築されました。僧房は東西に長い建物で、その東側が本堂になりました。本堂は内陣が板敷き、それを取り囲む外陣が畳敷きになっており、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩く行道(ぎょうどう)に適しているそうです。なお本堂は本瓦葺(ほんがわらぶき)の寄棟造(よせむねづくり)です。
(本堂・ポイントまとめ)
●本堂は桁行六間・梁間六間です。
●本堂は往生人智光法師感得の浄土曼荼羅を祀り、極楽堂または曼荼羅堂とも言われました。
●本堂は南都(奈良)における浄土教(じょうどきょう)発祥の聖地とも言われています。
●本堂は内陣の角柱や天井板に奈良時代の部材が使われています。
本堂見どころ(歴史概略・・・)

【元興寺-禅室・簡単解説】★★★修学旅行
禅室とは見逃せない国宝(1953年(昭和28年)3月31日指定)です。禅室はかつて本堂とともに奈良時代に往生人智光法師・礼光法師などの僧侶が住んでいた僧房だったが、鎌倉時代前期の1244年(寛元2年)に改築されました。僧房は東西に長い建物で、その西側が禅室になりました。禅室は近世に客殿、近代には学校舎としても使われました。なお禅室は本瓦葺の切妻造(きりづまづくり)です。
(禅室・ポイントまとめ)
●禅室は桁行四間・梁間四間です。
●禅室はかつて春日影向堂(かすがようごうどう)とも言われました。
●禅室は本堂と同様に奈良時代の部材が使われています。2000年(平成12年)の文化財研究所の発表によると古墳時代の582年(敏達天皇11年)に伐採の樹木が使われていることが分かったそうです。
禅室見どころ(歴史概略・・・)

【元興寺-古瓦・簡単解説】★★修学旅行
古瓦(丸瓦・平瓦)は本堂(極楽坊本堂)の北流(北側)・西流(西側)、禅室の南流(南側)東部分に使われています。古瓦には飛鳥時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代などに焼かれたものがあります。ちなみに飛鳥時代に焼かれた古瓦は飛鳥に建立されていた前身の法興寺に使われていたが、平城京遷都ととも移されて代々使われてきました。なお本堂西南隅・禅室南東隅には古代の軒平瓦も残されています。
(古瓦・ポイントまとめ)
●古瓦は上部が細く、下部が広い形状です。古瓦を重ねる葺き方は行基葺(ぎょうきぶき)とも言われています。

【元興寺-五重小塔・簡単解説】
五重小塔とは見逃せない国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。五重小塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)です。五重小塔は内部構造まで忠実に造られ、工芸品ではなく、建造物として国宝に指定されています。五重小塔は現存奈良時代の五重塔の構造を伝える唯一の資料とも言われています。なお五重小塔はかつて小塔院にあった建物内に安置されていたとも言われています。なお五重小塔は本瓦形板葺(ほんがわらがたいたぶき)です。
(五重小塔・ポイントまとめ)
●五重小塔は高さ約5.5メートルです。
●五重小塔は現在収蔵庫に安置されています。

【元興寺-東門・簡単解説】★★修学旅行
東門とは重要文化財(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。東門は四脚門(しきゃくもん)です。東門は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に東大寺(とうだいじ)西南院 (さいなんいん)の門として建立され、室町時代前期の応永年間(1394年~1427年)に移されました。なお東門は本瓦葺の切妻造です。
(東門・ポイントまとめ)
●東門は現在正門になっています。

【元興寺-小子坊・簡単解説】
小子坊は奈良県指定文化財です。小子坊は僧坊の沙弥寮(さみりょう)から江戸時代前期の1663年(寛永3年)に極楽院庫裏に改築され、1949年(昭和24年)に本堂の南側に移されて増築されて、極楽院保育所の建物になったこともありました。
(小子坊・ポイントまとめ)
●小子坊はかつて禅室の北側にあったそうです。

【元興寺-かえる石・簡単解説】★修学旅行
かえる石(蛙石)は境内北側にあるガマガエルのような石です。かえる石は元々大阪河内の川縁にあったが、関白・豊臣秀吉が気に入り、大坂城内に移したと言われています。その後1958年(昭和33年)に移されてきたそうです。ちなみに元興寺ではかえる石のかつての有縁無縁の一切の霊を供養し、極楽カエルに成就させたとも言われています。なおかえる石は古来から奇石として有名で、江戸時代に奇石を集めた「雲根志(木内石亭(きうちせきてい)著)」にも記されていたそうです。
(かえる石・ポイントまとめ)
●かえる石は1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で大阪城が落城した際、秀吉の側室・淀殿(よどどの)の遺骸(いがい)が下に埋められ、怨念がこもっているとも言われていたそうです。
●毎年7月7日にかえる石供養を行っています。

【元興寺-塔跡・小塔院跡・簡単解説】★修学旅行
塔跡・小塔院跡は史跡です。塔跡は東大塔院五重塔の基壇、小塔院跡は西小塔院の一部です。ただ塔跡・小塔院跡の大部分は道路や民家の下に埋もれているそうです。
(塔跡・ポイントまとめ)
●塔跡には寺伝によると総高約72.7メートルの五重塔があったが、江戸時代後期の1859年(安政6年)に焼失しました。なお五重塔は実際に50メートルぐらいだったとも言われています。

【元興寺-地蔵会万灯供養・簡単解説】
毎年8月23日・24日に地蔵会万灯供養(じぞうえまんとうくよう)を行っています。地蔵尊供養では本堂に各界名士揮毫(きごう)による行燈(あんどん) 絵を展示し、境内に祈願が墨書された灯明皿(とうみょうざら)を並べ、菜種油(なたねあぶら)を注いで藺草(いぐさ)芯の灯芯(とうしん)に火を灯します。
(地蔵会万灯供養・ポイントまとめ)
●地蔵会万灯供養は中世以来の地蔵信仰を受け継ぐ為、1948年(昭和23年)に復興されました。
元興寺地蔵会万灯供養

【元興寺-ならまち(奈良町)・簡単解説】★修学旅行
ならまち(奈良町)は歴史的に境内に当たり、江戸時代以降の町屋が多く残されています。ならまちは平城京の外京に置かれた国家鎮護の寺院・神社などの門前郷として発達したが、平安時代末期の1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討で被害を受け、中世以降に筆・墨・刀・酒・醤油などの産業が発展し、江戸時代には商工業都市が形成されました。
ならまち(奈良町)(アクセス・・・)

【元興寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・奈良世界遺産・元興寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

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