薬師寺の見どころ解説-修学旅行・観光の簡単まとめ

薬師寺の国宝・重要文化財などの見どころ解説
薬師寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには総高約34.1メートルで、薬師寺のシンボルである東塔(国宝)、元明天皇の冥福を祈る為に創建された東院堂(国宝)、450年振りに再建された西塔などがあります。また金堂・玄奘三蔵院・本薬師寺跡なども見逃せません。
- 薬師寺のシンボルである東塔(国宝)
- 本尊・聖観音を祀る東院堂(国宝)
- 1981年(昭和56年)に約450年振りに再建された西塔
- 薬師三尊を祀り、薬師寺の本堂である金堂
- 平山郁夫筆の大唐西域壁画がある玄奘三蔵院
【薬師寺のシンボルである東塔(国宝)の見どころ解説】
★東塔は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。東塔は総高約34.1メートルの三重塔で、西塔とともに薬師寺のシンボル・ランドマークです。東塔は東寺(とうじ)の五重塔・興福寺(こうふくじ)の五重塔・醍醐寺(だいごじ)の五重塔に次いで、日本国内で4番目に高い塔です。東塔は仏壇の四方に江戸時代に造仏された四仏、四隅に平安時代に造仏された四天王(してんのう)像を安置しています。東塔はかつて仏教の開祖・お釈迦様(おしゃかさま)の人生を表した釈迦八相(しゃかはっそう)の内、前半の四相(しそう・因相(いんそう))を表した塑像(そぞう)を安置していたが、室町時代に破損して仏壇に改められました。
★歴史:東塔は730年(天平2年)に創建されたと言われています。東塔は境内最古の建物と言われています。その後地震・台風などで損傷し、度々修理されました。東塔は藤原京(ふじわらきょう)に創建されて移築されたのか、710年(和銅3年)に遷都された平城京で新築されたのかという議論があったが、2016年(平成28年)に心柱(しんばしら)が719年(養老3年)に伐採されたことが分かり、平城京で新築された可能性が高まりました。
★様式:東塔は三間三重塔婆(さんげんさんじゅうとうば)です。東塔は一見、六重塔のように見えるが、各層に裳階(もこし)と言われる小さな屋根(下から1・3・5番目)が取り付けられ、六重塔のように見えます。東塔はその美しい姿から「凍れる音楽」とも評されています。東塔は本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
★調査:東塔は2009年(平成21年)から開始された解体・修理に伴う調査により、心礎(しんそ)・四天柱(してんばしら)・側柱(がわばしら)の礎石(そせき)は創建当初から動かされていないことが分かりました。
★豆知識:東塔は相輪(そうりん)の上部に火災予防の為に水煙(すいえん)が祀られています。
【本尊・聖観音を祀る東院堂(国宝)の見どころ解説】
★東院堂は東塔に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値があります。東院堂は厨子(ずし)に飛鳥時代後期または奈良時代に造仏された本尊・聖観音(しょうかんのん)立像(国宝)を安置しています。東院堂は当初、東禅院とも言われていたそうです。
★歴史:東院堂は1285年(弘安8年)に再建されました。その後1733年(享保18年)に南向きから西向きに変えられたと言われています。東院堂は養老年間(717年~724年)に皇女・吉備内親王(きびないしんのう)が第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈る為に創建したが、973年(天禄4年)に火災で焼失しました。
★様式:東院堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺です。東院堂は正面七間・側面四間です。東院堂は水害や湿気を避ける為に基檀(きだん)が高いと言われています。
【西院の西門だった南門(重要文化財)の見どころ解説】
★南門(山門)は境内の南側に建立されています。南門は元々、薬師寺西院の西門でした。
★歴史:南門は1512年(永正9年)に建立されました。
★様式:南門は一間一戸(いっけんいっこ)の四脚門(しきゃくもん)です。南門は切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
【鎮守社である休ヶ岡八幡宮(重要文化財)の見どころ解説】
★休ヶ岡八幡宮は薬師寺の鎮守社です。休ヶ岡八幡宮は本殿・脇殿に僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)・神功皇后(じんぐうこうごう)・仲津姫命(なかつひめのみこと)を祀っています。
★歴史:休ヶ岡八幡宮は1603年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・秀頼(ひでより)が片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として再建しました。休ヶ岡八幡宮は寛平年間(889年~898年)に別当・栄紹が大分・宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)から八幡神を勧請したのが起源と言われています。
★様式:休ヶ岡八幡宮は三間社(さんげんしゃ)流造(ながれづくり)で、檜皮葺(ひわだぶき)です。
★豆知識:休ヶ岡八幡宮の社名は855年(斉衡2年)に大安寺(だいあんじ)の僧・行教が宇佐八幡宮から八幡神を大安寺八幡宮(元石清水八幡宮)に勧請した際、この地で八幡神が休息したとされることに由来しています。
★若宮社:若宮社は休ヶ岡八幡宮の若宮です。若宮社(重要文化財)は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されたと言われています。若宮社は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)で、檜皮葺です。
【約450年振りに再建された西塔の見どころ解説】
★西塔は見逃せません。西塔は東塔と高さや意匠などが少し異なります。西塔は500年後に東塔と同じ高さになるように東塔よりも約30センチ高く再建されました。西塔はお釈迦様の人生を表した釈迦八相の内、後半の四相(果相(かそう))を表した諸像を安置しています。
★歴史:西塔は1981年(昭和56年)に伝統様式・技法によって再建されました。西塔は1528年(享禄元年)に兵火で焼失しました。
★様式:西塔は三間三重塔婆です。西塔は一見、六重塔のように見えるが、各層に裳階と言われる小さな取り付けられています。
★豆知識:西塔は東塔とデザインは似ているが、東塔は裳階が白壁に対し、西塔は連子窓(れんじまど)になっています。東塔も当初、連子窓だったが、その後白壁に改修されたそうです。
【薬師寺の本堂である金堂の見どころ解説】
★金堂は薬師寺の本堂で、奈良時代の仏教彫刻を代表する本尊・薬師三尊(やくしさんぞん)像(国宝)を安置しています。上層は写経を納めた納経蔵になっています。
★歴史:金堂は1976年(昭和51年)に再建されました。金堂は1528年(享禄元年)に兵火で焼失し、その後豊臣家が金堂仮堂を建立したが、1615年(慶長20年)の大阪夏の陣による豊臣家滅亡などにより、約400年間仮堂のままでした。金堂仮堂は興福寺(こうふくじ)に移築され、仮中金堂に改修されました。
★様式:金堂は内陣が鉄筋コンクリート造です。
【大唐西域壁画がある玄奘三蔵院の見どころ解説】
★玄奘三蔵院(げんじょうさんぞういん)は見逃せません。玄奘三蔵院は主要伽藍の北側にあります。玄奘塔は玄奘三蔵像と玄奘三蔵の頭部の遺骨(頂骨)・真身舎利を祀っています。玄奘三蔵院には日本画家・平山郁夫(ひらやまいくお)が30年の歳月を掛けて制作した縦約2.2メートル・長さ約49メートルの大唐西域壁画(だいとうさいいきへきが)があります。
★歴史:玄奘三蔵院は1991年(平成3年)に建立されました。
★様式:玄奘塔は八角円堂で、裳階付きです。
★真身舎利:真身舎利は1942年(昭和17年)12月23日に中国・南京で日本陸軍が偶然発見し、1944年(昭和19年)に一部が日本仏教会に分けれ、戦後に国外への持ち出しが許可され、埼玉県岩槻市(さいたま市岩槻区)の慈恩寺に祀られていたが、1981年(昭和56年)に薬師寺に分骨されました。
★行事:毎月5日に玄奘縁日法要、例年5月5日に玄奘三蔵会大祭、例年1月5日に平和祈願法要が行われています。
【弥勒三尊を祀る大講堂の見どころ解説】
★大講堂では2003年(平成15年)に約500年振りに最勝会が復興されました。大講堂は境内最大の建物で、白鳳伽藍(はくほうがらん)の雄大さを象徴しているとも言われています。大講堂は本尊・銅造三尊(弥勒三尊(みろくさんぞん))像(重要文化財)を安置しています。また仏足石(国宝)・仏足跡歌碑(国宝)も安置しています。
★歴史:大講堂は2003年(平成15年)に再建されました。大講堂は1528年(享禄元年)に兵火で焼失し、1852年(嘉永5年)に再建されたが、2003年(平成15年)の大講堂再建に伴って解体されました。
★様式:大講堂は正面約41メートル・奥行約20メートル・高さ約17メートルです。
★仏像:銅造三尊(弥勒三尊)像は中尊が像高約267センチです。
【西ノ京ロータスロードと言われる蓮の見どころ解説】
★薬師寺は蓮(ハス)の名所で、喜光寺(きこうじ)・唐招提寺(とうしょうだいじ)とともに西ノ京ロータスロードと言われています。ロータス(Lotus)は蓮です。蓮は鐘楼周辺に鉢植えにされて並べられます。蓮は例年6月下旬頃から8月中旬頃に見ごろを迎えます。蓮は午前中が見ごろです。
【写経できるお写経道場の見どころ解説】
★お写経道場は玄奘三蔵院伽藍にある本坊寺務所の奥にあります。薬師寺では1968年(昭和43年)から白鳳伽藍復興の為のお写経勧進を行っています。お写経道場では「般若心経」・「薬師経」・「唯識三十頌」を写経するそうです。お写経道場の開門閉門は毎日8:30~17:00です。(要確認)
【本薬師寺跡(特別史跡)の見どころ解説】
★本薬師寺跡は奈良市橿原市城殿町279(畝傍御陵前駅近く)あります。本薬師寺は中央に金堂、金堂前に中門・東西塔、金堂背後に講堂を配した伽藍配置が「薬師寺式伽藍配置」と言われています。
★歴史:本薬師寺は680年(天武天皇9年)に藤原京右京八条三坊に創建されたが、710年(和銅3年)の平城京遷都後に現在の場所に移されたと言われています。本薬師寺は11世紀初頭(平安時代後期)まで存続していたとも言われ、金堂の礎石・東西両塔の上壇や塔の心礎などが残されています。
【薬師寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・薬師寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ