東大寺お水取り2025/3/1~14(日程時間・・・)お松明・修二会

お水取り(Omizutori)

東大寺お水取り

東大寺お水取り・お松明(日程・・・)を紹介しています。お水取りは例年3月1日から14日に行われます。お水取りでは本行を行う練行衆の道明かりとして、大松明を持った童子が練行衆に付きます。お水取りの大松明は長さ約6~8メートル・重さ約40キロだが、12日は長さ約8メートル・重さ約70キロの籠松明が用いられます。(詳細下記参照)

【東大寺お水取り2025 日程時間(要確認)】

東大寺お水取り2025は2025年(令和7年)3月1日(土曜日)~14日(金曜日)に行われます。お松明は19:00から行われます。ただ12日(水曜日)は19:30、14日は18:30から行われます。なお二月堂下芝生や広場・第2拝観所では人数制限が行われる可能性があります。その他注意事項あり。(要確認)
●3月1日~11日・13日は19:00から約20分間に10本の大松明が二月堂に上がります。
●3月12日は19:30から約45分間に11本の籠松明が二月堂に上がります。
●3月14日は18:30から約10分間に10本の大松明が二月堂に上がります。(尻付け松明)
東大寺お水取り2025日程

【東大寺お水取り アクセス・マップ】

場所・・・奈良県奈良市雑司町406-1
最寄り駅・バス停・・・東大寺大仏殿・春日大社前(徒歩約5分)

アクセス路線は次の通りです。
*JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス

*近鉄奈良駅(徒歩約20分)
路線・時刻表・運賃チェック

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【東大寺お水取り 歴史・簡単概要】

東大寺お水取り・修二会(しゅにえ)・お松明は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言います。十一面悔過では二月堂の本尊・大観音(おおかんのん)と小観音(こがんのん)に罪を懺悔し、鎮護国家・天下泰安・万民豊楽・五穀豊穣などを祈願しました。お水取りは752年(天平勝宝4年)に東大寺の開山・良弁僧正の高弟・実忠(じっちゅう)が始め、以来一度も途切れることなく続けられています。ちなみにお水取りの名称は二月堂の本尊に井戸・若狭井(わかさい)から汲み上げたお香水(おこうずい)を供えたことに由来し、修二会の名称は旧暦の2月に修する法会に由来し、お松明の名称は夜毎松明(たいまつ)に火を灯したことに由来します。
お水取りでは良弁僧正の命日である12月16日に11名の僧侶・練行衆(れんぎょうしゅう)が発表され、2月20日から前行である別火(べっか)が始まり、3月1日から14日まで本行が行われます。ちなみに本尊に供えるお水取りは3月12日深夜(13日午前1時半頃)に行われます。なおお水取りでは15日早朝からだったん帽も行われます。
東大寺だったん帽
お水取りでは本行を行う練行衆の道明かりとして、大松明を持った童子(どうじ)が練行衆に付きます。その為お水取りはお松明とも言われます。お松明は本行が行われる3月1日から14日まで行われ、12日・14日以外は19:00に大鐘が撞かれ、それを合図に行われます。ちなみにお水取りのお松明は通常10本だが、12日は11本になります。12日は通常の松明(長さ約6~8メートル・重さ約40キロ)よりも大きな籠松明(長さ約8メートル・重さ約70キロ)が用いられます。ちなみにお松明では火の粉を浴びると健康になったり、幸せになったりするご利益があるとも言われています。またお松明の燃えかすは護符にされることもあるそうです。

  • 大松明・籠松明は竹の先端を割って開き、松の割り木を打ち込み、杉の青葉を差し込んで直径約70~100センチの球形・籠状に包み、最後に化粧板と言われる杉の薄板を花びらのように飾り付けます。大松明・籠松明は一本の巨大な花にも例えられます。大松明・籠松明は毎朝、練行衆に付く童子が自ら作ります。
  • 二月堂(国宝)は1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。二月堂は誰も見ることを許されない絶対秘仏である大観音(国宝)・小観音(国宝)を安置しています。なお二月堂の名称は旧暦の2月に行われるお水取り(修二会)に由来しています。

東大寺見どころ

【東大寺 歴史・簡単概要】

東大寺(金光明四天王護国之寺)は728年(神亀5年)に第45代・聖武天皇と光明皇后が早逝した皇太子・基皇子の菩提を追修する為に東大寺初代別当・良弁僧正ら9人の智行僧を住まわせた若草山の山房を起源とする金鍾山寺(金鍾寺)が起源と言われています。基皇子は727年(神亀4年)10月5日に誕生したが、728年(神亀5年)9月13日に亡くなり、同年11月に金鍾山寺が建立されました。その後741年(天平13年)に国分寺(金光明寺)・国分尼寺(法華寺)建立の詔が発せられると翌742年(天平14年)に大和国分寺になり、名称を大和金光明寺に改められました。その後743年(天平15年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発し、当初滋賀甲賀市信楽町の紫香楽宮で大仏の造立が開始されたが、745年(天平17年)に都が平城京に戻ると東大寺で大仏の造立が開始され、752年(天平勝宝4年)にインド出身の僧・菩提僊那を導師として、大仏開眼供養会が行われ、758年(天平宝字2年)に大仏殿が完成しました。752年(天平勝宝4年)からお水取り(修二会・お松明)も始まりました。789年(延暦8年)の造東大寺司の廃止までに講堂・東西両塔・三面僧房などの諸堂が建立されました。
*参考・・・東大寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ

【東大寺お水取り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
東大寺(アクセス・見どころ・・・)情報

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