長谷寺の見どころ-修学旅行・観光の簡単解説
長谷寺の見どころは本堂・仁王門・登廊・本坊・五重塔・牡丹などです。
長谷寺の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには十一面観音を祀り、西国三十三所の札所である本堂(国宝)、仁王像を祀る仁王門(重要文化財)、399段の美しい登廊(重要文化財)などがあります。また本坊・五重塔・本長谷寺なども見逃せません。
- 十一面観音を祀り、西国三十三所の札所である本堂(国宝)
- 仁王(金剛力士)を祀り、総門である仁王門(重要文化財)
- 下登廊・繋屋・中登廊・蔵王堂・上登廊から構成される登廊(重要文化財)
- 大講堂・奥書院・小書院などがある本坊(重要文化財)
- 高さ約31.3メートルで、シンボルの五重塔
【本尊・十一面観音を祀り、西国三十三所の札所である本堂(国宝)】
本堂は絶対に見る価値がある文化財です。本堂は観音霊場を象徴する建築様式・懸造(かけづくり・舞台造)で建立され、前方に広がる美しい光景を眺めることができます。本堂は本尊を安置する正堂(しょうどう)・礼拝の為の礼堂(らいどう)・正堂と礼堂を繋ぐ相の間から構成され、正堂は内々陣・内陣・外陣に分かれています。本堂は内々陣に像高10メートル以上ある本尊・十一面観音立像を安置し、西国三十三所の第8番札所になっています。
- 歴史:本堂は1650年(慶安3年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。ちなみに本堂は奈良時代(710年~794年)に建立されたが、その後度々焼失し、1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の異父弟・豊臣秀長(とよとみひでなが)の援助によって再建されました。
- 様式:本堂は傾斜地に建立され、懸造(舞台造)です。本堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。正堂の内陣は床が石敷き、天井が格天井(ごうてんじょう)で、中央二間が内々陣になっています。正堂の外陣は床が板敷き、天井の中央が化粧屋根裏(けしょうやねうら)で、左右が格天井です。礼堂は床が板敷き、天井が化粧屋根裏です。相の間は床が石敷き、天井が化粧屋根裏です。
- 伝承:十一面観音立像には神亀年間(724年~728年)に初瀬川(はつせがわ)に流れ着き、祟りの原因になった神木を村人の懇願により、僧・徳道が十一面観音立像に造仏したという伝承が残されています。現在の8代目・十一面観音立像は1538年(天文7年)に造仏されました。なお十一面観音立像は右手に数珠(じゅず)とともに地蔵菩薩(じぞうぼさつ)のように錫杖(しゃくじょう)、左手に水瓶(すいびん)を持つ長谷寺式十一面観音(長谷型観音)です。
【仁王(金剛力士)を祀り、総門である仁王門(重要文化財)】
仁王門は見る価値がある文化財です。仁王門は総門で、参拝する際の出入口です。仁王門は両脇に仁王(におう・金剛力士(こんごうりきし))像、楼上に釈迦三尊(しゃかさんぞん)・十六羅漢(じゅうろくらかん)を安置しています。仁王門は第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の宸筆である額「長谷寺」が掛けられています。
- 歴史:仁王門は1894年(明治27年)に再建されました。ちなみに仁王門は第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)の時代(986年(寛和2年)~1011年(寛弘8年))頃に創建されたが、その後度々焼失しました。
- 様式:仁王門は三間一戸(さんげんいっこ)の楼門(ろうもん)です。仁王門は屋根が入母屋造の本瓦葺です。
【下登廊・繋屋・中登廊・蔵王堂・上登廊から構成される登廊(重要文化財)】
登廊は本堂に次ぎ、見る価値がある文化財です。登廊は下登廊・中登廊・上登廊に分かれ、下登廊と中登廊を繋屋、中登廊と上登廊を蔵王堂が繋ぎ、仁王門から本堂を結んでいます。登廊は399段で、灯籠(とうろう)が釣るされています。登廊では例年春にボタン(牡丹)が彩りを添え、美しい光景が見られます。
- 歴史:登廊は1650年(慶安3年)に再建されました。その後1882年(明治15年)に下登廊・繋屋・中登廊が焼失し、1894年(明治27年)に再建されました。ちなみに登廊は1039年(長歴3年)に春日大社(かすがたいしゃ)の社司・中臣信清が子供の病気平癒のお礼に建立しました。
- 下登廊は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。下登廊は南端が唐破風造(からはふづくり)です。下登廊は正面・奥行が桁行四十一間・梁間一間です。
- 繋屋は屋根が切妻造の桟瓦葺(さんがわらふき)です。繋屋は正面・奥行が桁行一間・梁間一間です。
- 中登廊は屋根が切妻造の本瓦葺です。中登廊は正面・奥行が桁行十六間・梁間一間です。
- 蔵王堂は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺です。蔵王堂は正面・奥行が桁行三間・梁間一間です。
- 上登廊は屋根が両下造(りょうさげづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。上登廊は正面・奥行が桁行十八間・梁間一間です。
【大講堂・奥書院・小書院などがある本坊(重要文化財)】
本坊は見逃せません。本坊には事相・教相の根本道場である大講堂や大玄関及び庫裏・奥書院・小書院・護摩堂・唐門及び回廊・中雀門・土蔵があります。大講堂は天沼俊一、大玄関及び庫裏・護摩堂は岸熊吉、奥書院は阪谷良之進、小書院は阪谷良之進、唐門及び回廊は岸熊吉が設計しました。
- 歴史:本坊は1919年(大正8年)から1924年(大正13年)に再建されました。ちなみに本坊は1667年(寛文7年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の寄進によって建立されたが、1911年(明治44年)に焼失しました。
- 大講堂は建築面積約590.05平方メートルで、屋根が本瓦葺です。
- 大玄関・庫裏は建築面積約529.66平方メートルで、屋根が本瓦葺です。大玄関は北面が唐破風造(からはふづくり)です。
- 奥書院は建築面積約217.25平方メートルで、屋根が桟瓦葺です。
- 小書院は建築面積約173.44平方メートルで、屋根が桟瓦葺です。
- 護摩堂は建築面積約47.73平方メートルで、屋根が本瓦葺です。
- 唐門・回廊は建築面積約40.86平方メートルで、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)です。唐門は西面軒が唐破風があります。
- 中雀門は一間(いっけん)薬医門(やくいもん)で、屋根が切妻造の本瓦葺です。
- 土蔵は建築面積約37.65メートルの二階建で、屋根が土蔵造(どぞうづくり)の桟瓦葺です。
【鐘楼(重要文化財)・繋廊(重要文化財)】
鐘楼は仁王門から登廊を上がった場所に建立されています。繋廊は本堂と鐘楼を繋げています。
- 歴史:鐘楼・繋廊は1650年(慶安3年)に建立されました。
- 様式:鐘楼は屋根が入母屋造の本瓦葺です。鐘楼は正面・奥行が桁行一間・梁間一間です。繋廊は屋根が切妻造です。繋廊は正面・奥行が桁行三間・梁間一間です。
【一間社春日造の三百余社(重要文化財)】
三百余社は蔵王堂・上登廊・鐘楼・繋廊とともに本堂と同じ時期に建立されました。
- 歴史:三百余社は1650年(慶安3年)に建立されました。
- 様式:三百余社は一間社(いっけんしゃ)春日造(かすがづくり)で、屋根が銅板葺(どうばんぶき)です。
【高さ約31.3メートルで、シンボル・ランドマークの五重塔】
五重塔は見逃せません。五重塔は高さ約31.3メートルで、シンボルです。またランドマークでもあります。五重塔は塔身が丹色(にいろ)で、相輪が金色です。なお五重塔はかつて三重塔が建立されていた北側に建立されています。
- 歴史:五重塔は1954年(昭和29年)に建立されました。五重塔は第二次世界大戦後に日本国内で最初に建立された五重塔です。様式:五重塔は屋根が檜皮葺です。
【銅板法華説相図を祀った本長谷寺】
本長谷寺は686年(朱鳥元年)に僧・道明(どうみょう)が第40代・天武天皇(てんむてんのう)の勅願によって精舎(しょうじゃ)を建立した場所と言われています。僧・道明は第40代・天武天皇の病気平癒の為に銅板法華説相図(ほっけせっそうず・千仏多宝仏塔(せんぶつたほうぶっとう))を鋳造し、本尊として安置しました。
【寺宝を収蔵・展示する宗宝蔵(宝物殿)】
宗宝蔵は宝物殿で、所有する国宝・重要文化財などの宝物を収蔵・展示しています。ただ公開されるのは春と秋です。
- 歴史:宗宝蔵はかつて六坊のひとつに数えられた清浄院跡に建立されています。
【ぼたんまつりが行われる美しい牡丹】
長谷寺は奈良を代表する牡丹の名所です。仁王門から本堂に通じる登廊周辺に約150種・約7,000株の牡丹が咲きます。牡丹は例年4月下旬頃から5月上旬頃に見ごろを迎え、牡丹の見ごろにぼたんまつりが行われます。(要確認)
- 豆知識:長谷寺は寺伝によると1,100年ほど前に唐(中国)の21代皇帝・僖宗(きそう)の第4の后・馬頭夫人(めずぶにん)が長谷寺の十一観世音に願いを込めて祈願し、その願いが叶ったお礼に十種の宝物に牡丹を添えて献上したと言われています。
【もみじまつりが行われる美しい紅葉】
長谷寺は奈良を代表する紅葉の名所です。広大な山内にモミジ・イチョウなどが分布しています。紅葉は例年11月中旬頃から12月上旬頃に見ごろを迎え、紅葉の見ごろにもみじまつり(與喜天満神社秋祭りなど)が行われます。(要確認)
【修二会の結願の日に行われるだだおし】
だだおしは例年2月14日に行われています。だだおしでは悔過法要や閻浮檀金宝印(えんぶだごんほういん)による加持が行われ、太鼓・ほら貝の音が響くと赤鬼・青鬼・緑鬼が暴れ回り、僧侶が法力と牛玉札(ごおうふだ)によって追い払います。
- 歴史:だだおしは718年(養老2年)に徳道上人(とくどうしょうにん)が一時冥土に行った際、閻魔大王(えんまだいおう)から授かった閻浮檀金宝印を修二会(しゅにえ)の結願の日に諸仏や参拝者の額に押し、悪魔退散・無病息災の加持・祈祷を行ったことに由来すると言われています。
【長谷寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・長谷寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ