當麻寺の文化財・見どころ-修学旅行・観光の豆知識
當麻寺の文化財・見どころ-曼荼羅堂・東塔・西塔・金堂・講堂・梵鐘
當麻寺の文化財・見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには中将姫ゆかりの當麻曼荼羅を祀る曼荼羅堂(国宝)、総高約25メートルの東塔(国宝)と西塔(国宝)、本堂だった金堂(重要文化財)などがあります。また講堂・香藕園等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財の概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 本尊・當麻曼荼羅を祀り、本堂である曼荼羅堂(国宝)
- 総高約24.4メートルで、シンボルの東塔(国宝)
- 総高約25.2メートルで、シンボルの西塔(国宝)
- 本尊・弥勒仏を祀り、本堂だった金堂(重要文化財)
- 2体の阿弥陀如来を祀る講堂(重要文化財)
【當麻寺の歴史・簡単概要】
當麻寺(当麻寺)は612年(推古天皇20年)に第31代・用明天皇の皇子・麻呂古親王が異母兄・聖徳太子の教えにより、救世観音を本尊とする万法蔵院を河内に創建し、白鳳時代(645年~710年)に河内から當麻に移ったのが起源とも、7世紀末頃に672年(天武天皇元年)の壬申の乱で功績があった当麻国見が氏寺として創建したのが起源とも言われています。その後763年(天平宝字7年)に当麻曼荼羅が作られ、平安時代に密教文化が栄えたとも言われているが、1180年(治承4年)の平重衡による南都焼き討ちにより、金堂などの伽藍の一部を焼失しました。
【本尊・當麻曼荼羅を祀り、本堂である曼荼羅堂(国宝)】
- 概要:曼荼羅堂は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。曼荼羅堂は當麻寺の本堂で、奥の内陣と手前の礼堂(らいどう)に分かれ、内陣に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が寄進したと言われている須弥壇(しゅみだん)上に本尊・當麻曼荼羅(たいままんだら)が入った高さ約5メートルの厨子(ずし)を安置しています。曼荼羅堂は織殿観音と言われている十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像・来迎阿弥陀如来(らいごうあみだにょらい)立像・中将姫(ちゅうじょうひめ)坐像・役行者(えんのぎょうじゃ)三尊坐像なども安置しています。
- 歴史:曼荼羅堂は1957年(昭和32年)からの解体修理により、奈良時代に内陣が建立され、平安時代初期頃に曼荼羅を安置する為に改造され、1161年(永暦2年)に更に拡張され、1268年(文永5年)に屋根の修理が行われたと言われています。
- 様式:曼荼羅堂は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。曼荼羅堂は正面・奥行が桁行七間・梁間六間です。正面約21.02メートル・奥行約18.06メートルです。
- 豆知識:當麻曼荼羅の原本(根本曼荼羅)には中将姫が蓮の糸を用い、一夜で織り上げたという伝説が残されています。當麻曼荼羅は歴史的価値があります。なお當麻曼荼羅の原本は奈良時代(710年~794年)末期から平安時代(794年~1185年)初期に厨子(ずし)が制作されていることから當麻曼荼羅の原本は遅くともこの時代に當麻寺に安置されていたと言われています。
【総高約24.4メートルで、シンボルの東塔(国宝)】
- 概要:東塔は西塔とともに曼荼羅堂に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。東塔は総高約24.4メートルの三重塔で、シンボルです。東塔は相輪(そうりん)が九輪ではなく、八輪で、水煙(すいえん)が珍しい魚骨状になっています。東塔・西塔はとともに1,000年以上の歴史があり、當麻寺は近世以前に建立された東西両塔が珍しく残る日本唯一の寺と言われています。
- 歴史:東塔は奈良時代末期に建立されたと言われています。
- 様式:東塔は三間三重塔婆(さんがんさんじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。
【総高約25.2メートルで、シンボルの西塔(国宝)】
- 概要:西塔は東塔とともに曼荼羅堂に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。西塔は東塔よりも少し高い、総高約25.2メートルの三重塔で、シンボルです。西塔は相輪が九輪ではなく、八輪で、水煙に未敷蓮華(みふれんげ)をあしらわれています。西塔は東塔と高さ・様式などの違いを比べながら眺めるのがおすすめです。
- 歴史:西塔は東塔よりも新しく、平安時代初期に建立されたと言われています。
- 様式:西塔は三間三重塔婆で、屋根が本瓦葺です。
- 調査:西塔は1911年(明治44年)からの修理の際、1219年(建保7年)の修理の際に納められた舎利(しゃり)容器が心柱(しんばしら)頂部から発見されました。
【白鳳時代に鋳造され、国内最古級と言われる梵鐘(国宝)】
- 概要:梵鐘は鐘楼(しょうろう)の上部に釣るされ、間近で見ることができません。
- 歴史:梵鐘は銘がないが、當麻寺創建時の白鳳時代(680年代)に鋳造され、国内最古級と言われています。
- 様式:梵鐘は2か所にある撞座の蓮弁の枚数が10弁と11弁で、枚数が異なります。
【本尊・弥勒仏を祀り、本堂だった金堂(重要文化財)】
- 概要:金堂は修学旅行・観光で見逃せません。金堂はかつての本堂で、當麻曼荼羅が信仰を集め、曼荼羅信仰の寺と言われる前の中心的な伽藍でした。金堂は内部が土間で、中心部分の桁行三間・梁間二間が内陣になっており、内陣に国内最古の塑像(そぞう)と言われる本尊・弥勒仏(みろくぶつ)坐像(国宝)を安置しています。また乾漆(かんしつ)四天王(してんのう)立像なども安置しています。
- 歴史:金堂は1180年(治承4年)の兵火で焼失した講堂に類焼し、鎌倉時代前期に再建されたと言われています。
- 様式:金堂は屋根が入母屋造の本瓦葺です。金堂は正面・奥行が桁行五間・梁間四間です。正面約12.10メートル・奥行約9.54メートルです。金堂はかつて厚板を葺いた木瓦葺だったそうです。
- 仏像:弥勒仏坐像は国内最古の塑像と言われています。ちなみに弥勒仏坐像を周囲で守護する四天王(してんのう)の内、多聞天(たもんてん)を除く、持国天(じこくてん)立像・増長天(ぞうじょうてん)立像・広目天(こうもくてん)立像は国内最古の乾漆(かんしつ)像と言われています。
【2体の阿弥陀如来を祀る講堂(重要文化財)】
- 概要:講堂は修学旅行・観光で見逃せません。講堂は金堂とともに南北に建立され、中心的な伽藍でした。講堂は本尊・阿弥陀如来坐像(重要文化財)と別の阿弥陀如来坐像(重要文化財)・妙幢菩薩(みょうとうぼさつ)立像(重要文化財)・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像(重要文化財)などを安置しています。
- 歴史:講堂は1180年(治承4年)に兵火で焼失し、1303年(乾元2年)に再建されました。
- 様式:講堂は屋根が寄棟造の本瓦葺です。講堂はかつて厚板を葺いた木瓦葺だったそうです。講堂は正面・奥行が桁行七間・梁間四間です。正面約17.87メートル・奥行約12.44メートルです。
【中将姫が剃髪した伝承が残る中之坊書院(重要文化財)】
- 概要:中之坊書院には御幸の間・鷺の間・鶴の間・侍者の間・丸窓席と言われる茶室などがあります。御幸の間は中央に玉座が置かれています。御幸の間・鷺の間には曽我二直菴が描いた障壁画があります。丸窓席には直径約1.8メートルの円窓があります。なお御幸の間は第111代・後西天皇(ごさいてんのう)が行幸したと言われています。
- 歴史:中之坊書院は江戸時代前期に建立されました。
- 様式:中之坊書院は書院造(しょいんづくり)です。
- 伝承:中之坊書院には中将姫が剃髪した剃髪の地との伝承が残されています。
- 豆知識:中之坊は中院が前身で、西南院・竹之坊・松室院・不動院とともに真言宗五ヶ院と言われています。
【東塔・西塔を借景庭園・香藕園(名勝・史跡)】
- 概要:庭園・香藕とする園は吉野町の竹林院(ちくりんいん)群芳園(ぐんぽうえん)・大和郡山市の慈光院(じこういん)の庭園とともに大和三庭園に数えられています。香藕園は低い築地塀により、内庭と外庭に分かれています。内庭は東塔・西塔を借景にした池泉回遊式庭園、外庭は山の斜面に作庭されています。
- 歴史:香藕園は安土桃山時代に作庭され、江戸時代初期に第111代・後西天皇が行幸した際、江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の茶道指南役・片桐石州(かたぎりせきしゅう)が改修したと言われています。
【知恩院の奥の院とされた奥院】
- 概要:奥院には本堂・方丈・鐘楼門(重要文化財)があります。奥院は知恩院12世・誓阿普観(せいあふかん)が京都・知恩院(ちおいいん)から移したと言われる本尊・円光大師(法然上人(ほうねんしょうにん))像(重要文化財)を安置しています。
- 歴史:奥院は1370年(応安3年)に誓阿普観が創建しました。奥院は浄土宗(じょうどしゅう)の子院で、当初往生院と称し、近世以降は奥院と称しました。ちなみに奥院は知恩院の奥の院とされているそうです。なお本堂は1604年(慶長9年)、方丈は1612年(慶長17年)、鐘楼門は1647年(正保4年)に建立されました。
- 豆知識:奥院は往生院が前身で、念仏院・護念院・来迎院・極楽院・千仏院・宗胤院・紫雲院などとともに浄土宗八ヶ院と言われています。
【中将姫剃髪剃刀などの寺宝を収蔵・展示する霊宝殿】
- 概要:霊宝殿は所有する中将姫(ちゅうじょうひめ)ゆかりの宝物などを収蔵・展示しています。展示は入れ替え制で、特別展が定期的に行われるそうです。ただ中将姫剃髪剃刀が常設展示しています。剃刀は日本最古のカミソリとも言われているそうです。
【中将姫の現身往生(来迎引接)を再現した練供養会式】
- 概要:練供養会式(ねりくようえしき)は例年4月14日に行われています。練供養会式は中将姫(ちゅうじょうひめ)の命日に中将姫が生きたまま極楽浄土に迎えられた現身往生(来迎引接)を再現したものです。日本の練供養発祥地とも言われているそうです。練供養会式はインスタ映えします。
- 歴史:練供養会式は平安時代中期の1005年(寛弘2年)に恵心僧都(えしんそうず)・源信(げんしん)が始めたと言われています。
【當麻寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・奈良・當麻寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ