長谷寺繋廊・長谷寺見どころ

長谷寺繋廊

●長谷寺繋廊は1986年((昭和61年)12月20日に国の重要文化財に指定されました。
●長谷寺繋廊は江戸時代前期の1650年(慶安3年)に本堂・鐘楼(しょうろう)とともに建立されました。そして長谷寺繋廊は本堂と鐘楼を繋げています。
本堂は江戸時代前期の1645年(正保2年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建が開始され、1650年(慶安3年)に落慶しました。本堂はかつて奈良時代に建立されたが、戦国時代(室町時代後期)の1536年(天文5年)までに7回焼失し、安土桃山時代に関白・豊臣秀吉の異父弟で、郡山城城主・豊臣秀長が再建を開始し、1588年(天正16年)に完成しました。しかし1618年(元和4年)に雨漏りの記録が残されています。なお本堂には本尊・木造十一面観音立像(重要文化財)に安置されています。木造十一面観音立像は本堂とともに7度焼失し、現在8代目の木造十一面観音立像は戦国時代(室町時代後期)1536年(天文5年)に造仏されました。
鐘楼は江戸時代前期の1650年(慶安3年)に建立されました。鐘楼にかつて吊られていた梵鐘は「未来鐘(みらいがね)」とも言われています。鐘楼・梵鐘は平安時代末期から鎌倉時代初期の公家・歌人で、「小倉百人一首」の撰者である藤原定家が「年を経ぬ 祈る契は 初瀬山 尾上の鐘の よその夕暮れ」と詠んだことに因んで、「尾上(おのえ)の鐘」とも言われています。長谷寺では毎日、午前6時と正午に梵鐘が撞かれ、正午には梵鐘と同時に修行中の僧侶がほら貝を吹きます。
●長谷寺繋廊は桁行三間・梁間一間で、切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
切妻造は屋根の最頂部の棟(むね)から両側に葺き下ろし、その両端を棟と直角に切った屋根の形式です。切妻造は本を開いて伏せたような形で、平行な面を平(ひら)、棟と直角な面を妻(つま)と言います。切妻造は古くは真屋(まや)とも言われ、伊勢神宮(いせじんぐう)・出雲大社(いづもたいしゃ)などの社殿に採用されています。ちなみに四方向に傾斜する屋根面を持つ寄棟造(よせむねづくり)よりも格式が上とも言われています。なお切妻造は世界各地で見られる屋根の形式です。
本瓦葺は陶器製で、断面が湾曲した矩形の平瓦と断面が半円状の丸瓦とを交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。なお本瓦葺は本葺き(ほんぶき)とも言われています。
長谷寺見どころ

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