春日大社伏鹿手水所・春日大社見どころ(修学旅行・観光)

春日大社伏鹿手水所

●春日大社伏鹿手水所は金属製の伏鹿の手水所です。春日大社を参拝する場合、伏鹿手水所で手と口を清め、近くの祓戸神社に参拝して身心を清浄にし、春日大社に参拝します。鹿は春日神社の主祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の神鹿(しんろく)されていることに由来しています。
武甕槌命は茨城県鹿嶋市・鹿島神宮に祭神として祀られていたが、春日大社に勧請された際に白鹿に乗って来たとされ、鹿が神鹿(しんろく)と尊ばれるようになりました。武甕槌命は神産みにおいて、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火の神・迦具土神(かぐつちのかみ)を切り殺した際に剣に付着した血から甕速日神(みかはやひのかみ)・樋速日神(ひはやひのかみ)とともに化生(けしょう)したとされています。また出雲の国譲りにおいて、経津主神(ふつぬしのかみ)とともに豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に派遣され、国譲りの交渉を成功させたとされています。更に初代・神武天皇の東征において、思わぬ窮地に陥った際にふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救ったたされています。
手水所は手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)のことです。手水舎は水盤舎(すいばんしゃ)・御水屋(おみずや)などとも言われています。手水舎は寺社などの参道・社殿脇に設置され、参拝者が柄杓を使って手や口を漱ぎ清めます。手水舎では先ず右手で柄杓(ひしゃく)を取って水を掬い、最初に左手を清め、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を清めます。柄杓を右手に持ち替え、左手の掌に水を溜めて口に含み、音を立てずに口を清め、静かに吐き出します。左手をもう一度清め、柄杓から水を垂らして柄杓の柄を水で清めます。
鹿島神宮は社伝によると紀元前660年(神武天皇元年)に創建されたとも言われています。初代・神武天皇は宮崎・高千穂宮からの東征の半ばに思わぬ窮地に陥ったが、祭神・武甕槌大神のふつの霊剣(布都御魂剣)の神威によって救われ、紀元前660年(神武天皇元年)に初代・神武天皇が奈良・橿原宮で即位した際、その神恩に感謝して武甕槌大神を勅祭したとも言われています。その後東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、奈良時代・平安時代に国の守護神として篤く崇敬され、奉幣使が頻繁に派遣されたり、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮が行われたりしました。鹿島神宮は千葉県香取市の香取神宮・茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社に数えられました。なお鹿島神宮は武甕槌大神を祀っています。
祓戸神社は奈良時代後期の770年(神護景雲4年)に創建されたとも言われも言われています。ちなみに平安時代中期の1006年(寛弘3年)に記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。祓戸神社は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)を祀っています。祓戸神社には自らが犯した罪、知らず知らずに犯した罪も心から悔い改めて祈ると罪・穢れを祓うご神徳があるとも言われています。
本殿は鎌倉時代前期に記された現存最古の由緒記「古社記(こしゃき)・1234年(天福2年・文暦元年)」によると奈良時代後期の768年(神護景雲2年)11月9日に第48代・称徳天皇(第46代・孝謙天皇)の勅命により、左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)らが建立したとも言われています。現在の本殿は江戸時代末期の1863年(文久3年)の式年造替(しきねんぞうたい)によって建立されました。
春日大社見どころ

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