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春日大社林檎の庭・春日大社見どころ(修学旅行・観光)
春日大社林檎の庭
●春日大社林檎の庭は平安時代末期に第80代・高倉天皇から献木されたとも言われるリンゴの木に由来しています。リンゴの木ではかつて実の結実がにより、農作物の豊凶を占ったとも言われています。 なお春日大社林檎の庭に現在植えられているのリンゴの木は1957年(昭和32年)に献木されたものです。
第80代・高倉天皇は平安時代後期の1161年(応保元年)9月23日に第77代・後白河天皇と皇太后・平滋子(たいらのじし・建春門院(けんしゅんもんいん))の第7皇子として生まれました。母・平滋子は平清盛(たいらのきよもり)の妻・平時子(たいらのときこ)の異母妹で、平清盛の義理の甥になります。院政を停止した第78代・二条天皇に皇子がいなかったことから後継に擁立する動きがあり、1165年(永万元年)に第78代・二条天皇が崩御すると甥で、第78代・二条天皇の第2皇子・順仁親王が数え年2歳で第79代・六条天皇が即位し、3歳の年長の6歳で、憲仁親王(第80代・高倉天皇)が皇太子になりました。1168年(仁安3年)に5歳で第79代・六条天皇が退位し、8歳で第80代・高倉天皇が即位し、父・後白河上皇が院政を行いました。1172年(承安2年)に平清盛と平時子の娘で、従姉(いとこ)・平徳子(たいらのとくし・建礼門院(けんれいもんいん))を中宮に迎え、1178年(治承2年)に平徳子との間に第1皇子・言仁親王(第81代・安徳天皇)が誕生し、生後間もなく言仁親王が皇太子になりました。1179年(治承3年)に父・後白河上皇と義父・平清盛の対立が深まり、治承三年の政変で父・後白河上皇が幽閉状態に置かれ、1180年(治承4年)に平清盛の孫で、3歳の第1皇子・言仁親王(第81代・安徳天皇)に譲位し、院政を開始するが間もなく病気に倒れました。第80代・高倉天皇は詩歌管絃に優れ、特に笛は堪能であったと言われています。なお第80代・高倉天皇は1181年(治承5年)1月30日に21歳で崩御しました。
●春日大社林檎の庭では祭礼の際に舞楽(ぶがく)・神楽(かぐら)などが奉納されています。
神楽は神社の祭礼などの神事の際、神に奉納する歌舞です。神楽は天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩戸(あまのいわと)に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞ったのが起源とも言われています。神楽には宮中で行われる御神楽(みかぐら)と神社など民間で行われる里神楽(さとかぐら)に大きく分けられます。
舞楽は雅楽(ががく)の一種です。舞楽は唐楽(とうがく)・高麗楽(こまがく)を伴奏とする舞踊です。唐楽を伴奏とする舞楽は左舞(さまい)・高麗楽を伴奏とする舞楽は右舞(うまい)と言われます。なお雅楽は日本古来の音楽・舞に中国など大陸から伝わった音楽・舞が融合し、10世紀頃に完成したと言われています。雅楽は神楽(かぐら)・久米舞(くめまい)など日本固有の国風の歌舞(くにぶりのうたまい)・中国系の唐楽・朝鮮系の高麗楽などに分類されます。
春日大社見どころ