春日大社砂ずりの藤・春日大社見どころ

春日大社砂ずりの藤

●春日大社砂ずりの藤は樹齢700年以上とも言われています。春日大社砂ずりの藤は摂関・近衛家から献木されたとも言われ、「春日権現験記」に記されています。春日大社砂ずりの藤の名称は例年5月上旬頃に花房が1メートル以上に延び、 砂にすれるということに由来しています。
近衛家は右大臣・藤原不比等(ふじわらのふひと)の次男・藤原房前(ふじわらのふささき)を祖とする藤原北家(ふじわらほっけ)の嫡流で、太政大臣・藤原忠通(ふじわらただみち)の四男で、関白・近衛基実(このえもとざね)を家祖としています。近衛家は関白で、近衛家2代当主・近衛基通(このえもとみち)が京都近衛の北、室町の東の邸宅を近衛殿(このえどの)と称したことに由来しています。また平安京の近衛大路(このえのおおじ)にも由来しています。近衛家は九条家(くじょうけ)・二条家(にじょうけ)・一条家(いちじょうけ)・鷹司家(たかつかさけ)とともに五摂家(ごせっけ)に数えられ、大納言(だいなごん)・右大臣(うだいじん)・左大臣(さだいじん)を経て、摂政(せっしょう)・関白(かんぱく)・太政大臣(だいじょうだいじん)に昇任できました。また五摂家は藤原氏一族全体の氏長者・藤氏長者(とうしのちょうじゃ)にも選出されました。近衛家は戦国時代に近衛家15代当主・近衛尚通(このえひさみち)などの碩学政家や書家を輩出しました。また羽柴秀吉(はしばひでよし・豊臣秀吉(とよとみひでよし))を猶子にしました。江戸時代に寛永の三筆とも言われた近衛家18代当主・近衛信尹(このえのぶただ)に継嗣がなかったことから妹・近衛前子(このえさきこ)と第107代・後陽成天皇の間に生まれた第4皇子・近衛信尋(このえのぶひろ)を養子としたことから一条家・鷹司家とともに皇別摂家(こうべつせっけ)とも言われました。1884年(明治16年)の華族令(かぞくれい)の制定に伴って、近衞篤麿(このえあつまろ)が最上位の公爵(こうしゃく)に列し、その長男・近衞文麿(このえふみまろ)は3度にわたって内閣総理大臣を歴任しました。
●春日大社砂ずりの藤はノダフジ(野田藤)の変種とも言われています。
藤(ふじ)はマメ科フジ属のつる性落葉木本です。藤にはつるが右巻きと左巻きがあり、右巻きは標準和名がフジ・ノダフジ、左巻きは標準和名がヤマフジ・ノフジとも言われています。(日本の植物学の父とも言われる植物学者・牧野富太郎(まきのとみたろう)命名)ノダフジの名称は藤の名所だった旧・大阪府西成郡野田村に由来しています。野田村は「吉野の桜、野田の藤」と並び称されました。藤はマメ科植物同様に夜間に葉をすぼめるそうです。藤の名称はうすい紫色の花の色に由来しています。なお日本産の藤は固有種で、本州・四国・九州の温帯から暖帯に分布しています。
春日大社見どころ

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