興福寺北円堂・興福寺見どころ(修学旅行)

●興福寺北円堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●興福寺北円堂は奈良時代の721年(養老5年)に第44代・元正天皇と元明上皇(第43代・元明天皇)が藤原不比等(ふじわらのふひと)の一周忌に長屋王(ながやおう)に命じて建立したが、その後平安時代末期の1180年(治承4年)に焼失し、鎌倉時代の1210年(承元4年)頃に再建されました。
第44代・元正天皇は680年(天武天皇9年)に第40代・天武天皇と第41代・持統天皇(天武天皇の皇后)の皇子・草壁皇子(くさかべのみこ)と正妃・阿部皇女(第43代・元明天皇)の長女として生まれました。689年(持統天皇3年)に父・草壁皇子が即位せぬまま亡くなり、697年(文武天皇元年)に弟・珂瑠皇子(第42代・文武天皇)が即位したが、707年(慶雲4年)に第42代・文武天皇が崩御し、その遺児である首皇子(第45代・聖武天皇)が幼かったことから母・阿部皇女(第43代・元明天皇)が即位しました。715年(霊亀元年)に皇太子で、甥の首皇子(第45代・聖武天皇)がまだ若かったことから母である第43代・元明天皇から譲位されて即位しました。724年(養老8年)に首皇子(第45代・聖武天皇)に譲位したが、病気がちで職務が執れなくなると天皇を補佐し、744年(天平16年)に天皇の名代として難波京遷都の勅を発しました。第44代・元正天皇は748年(天平20年)に崩御しました。
第43代・元明天皇は661年(斉明天皇7年)に第38代・天智天皇と蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだの いしかわまろ)の娘・姪娘(めいのいらつめ)の第4皇女として生まれました。679年(天武天皇8年)頃に第40代・天武天皇と第41代・持統天皇の第2皇子で、1歳年下である甥・草壁皇子(くさかべのみこ)と結婚し、680年(天武天皇9年)に氷高皇女(第44代・元正天皇)、683年(天武天皇12年)に珂瑠皇子(第42代・文武天皇)を産みました。689年(持統天皇3年)に夫で、皇太子・草壁皇子が即位することなく亡くなり、姉で、義母である第41代・持統天皇の即位を経て、697年(文武元年)に息子・珂瑠皇子(第42代・文武天皇)が即位したが、707年(慶雲4年)に25歳で崩御しました。第42代・文武天皇の第1皇子で、孫・首皇子(第45代・聖武天皇)が幼かったことから第43代・元明天皇が即位し、首皇子がまだ若かったことから娘・氷高皇女(第44代・元正天皇)に譲位しました。第43代・元明天皇は721年(養老5年)に崩御しました。
藤原不比等は659年(斉明天皇5年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)と与志古の娘の次男として生まれました。藤原不比等は律令制度の確立に努め、大宝律令(たいほうりつりょう)制定に加わり、平城京遷都を推進しました。長女・宮子(みやこ)が第42代・文武天皇の夫人、三女・光明子(こうみょうし)が第45代・聖武天皇の皇后になり、長男・藤原武智麻呂(むちまろ))が南家祖、次男・藤原房前(ふささき)が北家祖、三男・藤原宇合 (うまかい) が式家祖、麻呂 (まろ) が京家祖になりました。
●興福寺北円堂は法隆寺(ほうりゅうじ)の夢殿(ゆめどの)と同じく、平面が八角形の八角円堂です。興福寺北円堂は日本に現存する八角円堂の内、最も美しいとも賞賛されています。興福寺北円堂は弥勒如来(みろくにょらい)坐像を中心に、無著菩薩(むじゃくぼさつ)・世親菩薩(せしんぼさつ)立像・木心乾漆四天王(してんのう)立像などを安置しています。
一般的に八角円堂(八角堂)は壁面を八角形にした宝形造り(ほうぎようづくり)の仏堂です。八角円堂では奈良時代の739年(天平11年)に建立された法隆寺の夢殿(国宝)と奈良時代の760年(天平宝字4年)~764年(天平宝字8年)に建立された栄山寺(えいさんじ)の八角堂(国宝)などが知られています。
興福寺見どころ

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