興福寺猿沢池・興福寺見どころ(修学旅行・観光)

興福寺猿沢池

●興福寺猿沢池は奈良時代前期の749年(天平21年)に興福寺で放生会(ほうじょうえ)を行う放生池(ほうじょうち)として造られました。その後猿沢池は京都・大覚寺(だいかくじ)大沢池(おおさわのいけ)と滋賀・石山寺(いしやまでら)とともに日本三大名月観賞池に数えられました。また室町時代に猿沢池月(さるさわいけのつき)は東大寺鐘(とうだいじのかね)・春日野鹿(かすがののしか)・南円堂藤(なんえんどうのふじ)・佐保川蛍(さほがわのほたる)・雲居坂雨(くもいざかのあめ)・轟橋旅人(とどろきばしのたびびと)・三笠山雪(みかさやまのゆき)とともに南都八景(なんとはっけい)に数えられました。明治維新後の神仏分離(しんぶつぶんり・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく))によって荒廃し、1880年(明治13年)2月14日に開園した奈良公園の一部になりました。なお猿沢池には澄まず・濁らず・出ず・入らず・蛙はわかず・藻は生えず・ 魚が七分に水三分という七不思議が残されています。
猿沢池にはモツゴ・ミナミメダカ・シマヒレヨシノボリなどの在来魚が生殖し、2020年(令和2年)に興福寺と近畿大学が興福寺で保管されていた江戸時代の古い瓦を使った魚礁を設置しました。なお外来種は近畿大学農学部に引き取られました。
放生会はお釈迦様(おしゃかさま)の前世である流水長者(るすいちょうじゃ)が池の水の涸渇(こかつ)により、死に掛けた魚を助け、説法して放生したところ魚は三十三天(とう利天)に転生し、感謝・報恩したということが起源とも言われています。また放生会は仏教の教えである五戒(ごかい)のひとつで、生き物を殺してはならないという不殺生戒(ふせっしょうかい)に由来しているとも言われています。ちなみに五戒には不殺生戒(ふせっしょうかい)・不偸盗戒(ふちゅうとうかい)・不邪淫戒(ふじゃいんかい)・不妄語戒(ふもうごかい)・不飲酒戒(ふおんじゅかい)があります。なお日本最初の放生会は飛鳥時代後期の677年(天武天皇6年)に行われたとも言われています。
●興福寺猿沢池では毎年中秋の名月の日に采女祭(うねめまつり)が行われています。采女祭では花扇奉納行列・花扇奉納神事・管絃の船の儀が行われます。花扇奉納行列では秋の七草で美しく飾られた花扇を乗せた車・十二単姿の花扇使を乗せた御所車などが練り歩きます。花扇奉納神事では春日大社の神職による神事が行われ、花扇が奉納されます。管絃の船の儀では南都楽所(なんとがくそ)による雅楽が奏される中、管絃船(龍頭舟・鷁首舟)が猿沢池をめぐり、花扇が猿沢池に投じられます。
采女祭は奈良時代に天皇に仕えていた采女が猿沢池に身を投げたことからその霊を慰める為に行われるようになったと言われています。采女祭は七夕の夜に貴族が秋草で飾った花扇を御所に献上し、池に浮かべて風雅を楽しんだことに因んで行われます。
興福寺見どころ

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