興福寺東金堂・興福寺見どころ(修学旅行)

●興福寺東金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
●興福寺東金堂は奈良時代の726年(神亀3年)に第45代・聖武天皇が叔母で、元正太上天皇(第44代・元正天皇)の病気平癒を祈願する為に建立したが、その後1180年(治承4年)・1411年(応永18年)など5度の被災と再建を繰り返し、室町時代前期の1415年(応永22年)に再建されました。
第45代・聖武天皇は701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子として生まれました。714年(和銅7年)に元服して立太子され、724年(神亀元年)に第44代・元正天皇から譲位されて天皇に即位しました。その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ・光明子(こうみょうし))を非皇族初の皇后(光明皇后)にしました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、国分寺・国分尼寺建立の詔 (こくぶんじ・こくぶんにじこんりゅうのみことのり)や大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発し、749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。ちなみに第45代・聖武天皇は生前譲位した初の男性天皇とされています。
第44代・元正天皇は680年(天武天皇9年)に第40代・天武天皇と第41代・持統天皇(天武天皇の皇后)の皇子・草壁皇子(くさかべのみこ)と正妃・阿部皇女(第43代・元明天皇)の長女として生まれました。689年(持統天皇3年)に父・草壁皇子が即位せぬまま亡くなり、697年(文武天皇元年)に弟・珂瑠皇子(第42代・文武天皇)が即位したが、707年(慶雲4年)に第42代・文武天皇が崩御し、その遺児である首皇子(第45代・聖武天皇)が幼かったことから母・阿部皇女(第43代・元明天皇)が即位しました。715年(霊亀元年)に皇太子で、甥の首皇子(第45代・聖武天皇)がまだ若かったことから母である第43代・元明天皇から譲位されて即位しました。歴代天皇の中で唯一、母から娘に皇位が継承されました。また第44代・元正天皇は結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇です。724年(養老8年)に首皇子(第45代・聖武天皇)に譲位したが、病気がちで職務がとれなくなると天皇を補佐し、744年(天平16年)に天皇の名代として難波京遷都の勅を発しました。第44代・元正天皇は748年(天平20年)に崩御しました。
金堂は本尊仏を安置する本堂(仏堂)のことです。本堂は金堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
●興福寺東金堂は建立当初緑色のタイルが敷かれ、薬師如来(やくしにょらい)の東方瑠璃光浄土(とうほうるりこうじょうど)の世界が表されていたと言われています。興福寺東金堂は室町時代に造仏された本尊・薬師如来坐像を中心に日光菩薩(にっこうぼさつ)立像・月光菩薩(がっこうぼさつ)立像・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像、維摩居士(ゆいまこじ)坐像・十二神将(じゅうにしんしょう)立像・四天王(してんのう)立像などを安置しています。
東方瑠璃光浄土は薬師如来の仏国土です。東方瑠璃光浄土は大地が瑠璃からなり、建物・用具は全て七宝造りで、日光菩薩・月光菩薩など多くの菩薩(ぼさつ)が住むとされています。
興福寺見どころ

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