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室生寺仁王門・室生寺見どころ(修学旅行・観光)
室生寺仁王門
●室生寺仁王門は1965年(昭和40年)11月に再建されました。室生寺仁王門は江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)に焼失し、その後しばらく再建されませんでした。室生寺仁王門には仁王像が安置されています。なお室生寺仁王門では2015年(平成27年)に2階から四天王(広目天(こうもくてん)・多聞天(たもんてん))の内、いずれも平安時代に造仏されたとも言われる持国天(じこくてん)・増長天(ぞうじょうてん)が発見されました。室生寺では鎌倉時代の古地図によると仁王門の奥に二天門が建立されており、その二天門に建立されていたとも言われています。持国天・増長天は像高約160センチで、左右の両手先部分が欠けています。持国天・増長天は奈良国立博物館で調査される予定です。
一般的に仁王門は仏教・寺院を守護し、仁王(におう・二王)とも言われる金剛力士(こんごうりきし)像を安置する門です。初期の仏教文献には門の左右に夜叉(やしゃ)を配することが記され、インド中部のマディヤ・プラデーシュ州北部にある仏教遺跡・バールフットの塔門(とうもん)に例があります。バールフットはシュンガ朝時代(紀元前2世紀半ば)に建てられた廃塔の周囲から門と欄楯(らんじゅん)の一部が発見されました。塔門と欄楯の浮彫は紀元前1世紀初期に施され、浮彫には仏教説話図の最古の仏伝図・本生図(ジャータカ)・守護神像・聖地図などがあります。なお日本では奈良時代(710年~794年)に仁王門の建立が盛んになり、飛鳥時代(592年~710年)に建立された法隆寺(ほうりゅうじ)西院の中門が最古の仁王門です。
金剛力士像(仁王像)は像容が上半身裸形で、筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)としています。金剛力士像は二神一対で、口を開いた阿形は怒りの表情を表し、口を閉じた吽形は怒りを内に秘めた表情を表しているものが多くなっています。一般的に正面から見て右側の像(阿形)は左手に仏敵を退散させる武器である金剛杵(こんごうしよ)を持ち、一喝するように口を開け、左側の像(吽形)は右手の指を開き、怒気を帯びて口を結んでいます。なお「阿」はインドで使用されるブラーフミー系文字・梵字(ぼんじ)で口を開いて発する最初の音声で、仏教では物事の始まりを表します。「吽」は梵字で口を閉じて発する最後の音声で、仏教では物事の終わりを表します。
●室生寺仁王門は重層の楼門です。室生寺仁王門は三間一戸(さんげんいっこ)八脚門(はっきゃくもん)で、檜皮葺(ひわだぶき)です。
楼門は寺社の入口にある二階建て(重層)の門です。楼門は下層に屋根のないものを言い、下層に屋根があるものを二重門と言います。
八脚門(八足門)は本柱四本の前後に控え柱四本が建てられた門です。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
室生寺見どころ