東大寺行基堂・東大寺見どころ(修学旅行・観光)

●東大寺行基堂は江戸時代に建立されたとも言われています。行基堂にはかつて俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)と言われる重源上人坐像(国宝)を安置していたことから俊乗堂と称していました。江戸時代中期の元禄年間(1688年~1703年)に公慶上人(こうけいしょうにん)が伽藍の再建に尽力した中興の祖・俊乗房重源の遺徳を称える為に俊乗堂を建立しました。また1728年(享保13年)に公慶上人の発願によって造仏された行基菩薩坐像が完成し、俊乗堂に行基菩薩坐像を安置したことから行基堂と言われるようになりました。なお行基は東大寺の大仏造立に尽力したことから第45代・聖武天皇、初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)、インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)とともに四聖(ししょう)と言われています。ただ行基は752年(天平勝宝4年)の大仏開眼を見ることなく、菅原寺(すがわらでら・喜光寺(きこうじ))で亡くなりました。
行基は飛鳥時代後期の668年(天智天皇7年)に父・高志才智(こしのさいち)と母・蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)の長子として河内国大鳥郡で生まれました。682年(天武11年)に15歳で大官大寺(だいかんだいじ・大安寺(だいあんじ))で出家し、法相宗(ほっそうしゅう)初伝の道昭(どうしょう)や法相宗の祖・義淵(ぎえん)らに法相宗を学び、民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を創建するだけでなく、困窮者の為に布施屋(ふせや)の設立などの社会事業も行いました。行基は740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺(すがわらでら・喜光寺(きこうじ))で81歳で亡くなりました。なお行基は738年(天平10年)に朝廷から行基大徳の称号が授与され、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。
公慶上人は江戸時代前期の1648年(慶安元年)に生まれ、東大寺の英慶に三論を学びました。公慶上人は1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦による大仏殿の焼失と雨ざらしの大仏(盧舎那仏像)を嘆き、大仏殿再建を決意しました。江戸時代中期の1684年(貞享元年)に江戸幕府の許可を得て全国で勧進を進め、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の援助もあり、1692年(元禄5年)に大仏の修理が完成して開眼法要を行いました。1693年(元禄6年)に徳川綱吉に拝謁し、その後も勧進を継続したが、大仏殿の落慶を見ることはなく、1705年(宝永2年)に江戸で亡くなり、遺骸は東大寺に運ばれ、俊乗房重源が建立したた五劫院(ごこういん)に埋葬されました。なお大仏殿は1709年(宝永6年)に落慶しました。
●東大寺行基堂には江戸時代中期の1728年(享保13年)に完成した像高約80.9センチの行基菩薩坐像を安置しています。東大寺行基堂は方一間の瓦葺きです。
東大寺見どころ

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