東大寺本坊経庫・東大寺見どころ(修学旅行・観光)

東大寺本坊経庫

●東大寺本坊経庫は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財、1953年(昭和28年)13月31日に国宝に指定されました。
●東大寺本坊経庫は奈良時代(710年~793年)に建立されました。東大寺本坊経庫は上司(かみつかさ)と言われる場所に建立されていたが、江戸時代中期の1714年(正徳4年)に東大寺の子院(院家(いんげ))・東南院(とうなんいん)に移したが、その後東南院が廃絶して本坊になり、本坊経庫と言われるようになりました。
東南院は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が創建したとも言われています。また平安時代初期の875年(貞観17年)に弘法大師・空海の孫弟子で、京都・醍醐寺(だいごじ)の開山ある理源大師(りげんだいし)・聖宝(しょうぼう)が薬師堂を建立したのが起源とも言われています。理源大師・聖宝は弘法大師・空海の実弟で、東大寺別当・真雅(しんが)のもとで出家して東大寺に入りました。東南院は三論宗(さんろんしゅう)・真言宗の兼学で、真言宗を学ぶ僧侶も受け入れました。904年(延喜4年)に東大寺別当・道義が佐伯氏の氏寺・香積寺(こうしやくじ・佐伯院))の建物を移して伽藍を整備しました。東南院は南大門の東方に位置したことから東南院と称しました。平安時代後期の1071年(延久3年)の宣旨(せんじ)により、院主が三論宗の長者を兼ねて三論宗の本所となり、華厳宗(けごんしゅう)の本所である尊勝院(そんしょういん)とともに公卿(くぎょう)・法親王(ほうしんのう)が入寺し、東大寺の二大院家になりました。
●東大寺本坊経庫は桁行三間・梁間二間の校倉(あぜくら)で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
一般的に校倉は三角形・四角形などの断面をした木材を使って、稜(りょう)のひとつを外側に向け、井桁(いげた)に組んで外壁とした倉です。校倉は奈良時代に広く行われていました。校倉には壁面が頑丈で、雨仕舞(あまじまい)がよくて湿気を内部に通しにくく、また乾燥時に壁面から通風があるという特徴があります。なお校倉は甲倉(こうそう)・叉倉(さそう)とも言われています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
東大寺見どころ

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