東大寺興成神社・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺興成神社

●東大寺興成神社(こうじょうじんじゃ)は二月堂西側で、東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)ゆかりの良弁杉近くに祀られています。興成神社は二月堂周辺に祀られている飯道神社(はんどうじんじゃ・いいみちじんじゃ)・遠敷神社(おにゅうじんじゃ)とともに二月堂の鎮守神とも言われています。なお興成神社は豊玉媛命(とよたまひめのみこと)を祀っています。
興成神社は遠敷明神(おにゅうみょうじん)が若狭から送水された際、黒・白二羽の鵜(う)が岩盤を打ち破って飛び出し、その後甘泉・若狭井(わかさい)が湧き出したことからその黒・白二羽の鵜を祀ったのが起源です。平安時代に「能く不死薬を取りて人に与え食せしめ、長生の齢を保たしむ」という誓願を持つ菩薩(ぼさつ)として信仰され、平安時代に既に現在の場所に祀られていたとも言われています。
遠敷明神は福井県小浜市の若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)のことです。若狭彦神社では東大寺・若狭井に通じているとも言われている遠敷川中流にある鵜の瀬でお水送り神事が行われていました。現在は若狭彦神社の神宮寺であった若狭神宮寺(わかさじんぐうじ)が主体として行っています。若狭神宮寺には閼伽井戸もあります。なお若狭彦神社は社伝によると奈良時代初期の714年(和銅7年)9月10日に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)が示現した白石の里に若狭彦神社上社が創建され、翌715年(霊亀元年)9月10日に現在の場所に移されたと言われています。
若狭井は東大寺権別当・実忠(じっちゅう)が十一面悔過(じゅういちめんけか)法要中に全国の神名を唱えて勧請したが、若狭国の遠敷明神だけが、遠敷川で魚を獲っていた為に勧請に遅れ、その詫びとして「遠敷川から水を送る」と言い、白黒の2羽の鵜が地中から飛び出し、霊水(閼伽井水)が湧き出したとも言われています。霊水は遠敷川鵜の瀬から約10日掛けて湧き出すとされています。
二月堂は修二会(お水取り)が始まった奈良時代の752年(天平勝宝4年)に建立され、平安時代後期の1180年(治承4年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討や戦国時代の1567年(永禄10年)の松永・三好の合戦では焼失しなかったが、江戸時代前期の1667年(寛文7年)のお水取り中に失火で焼失し、1669年(寛文9年)に再建されました。二月堂の名称は旧暦の2月に行われる修二会(お水取り)に由来しています。
良弁杉は二月堂前に植えられています。良弁杉は仏教通史「元亨釈書(げんこうしゃくしょ)・鎌倉時代」によると東大寺初代別当・良弁僧正(ろうべんそうじょう)が2歳の時に母親が桑を摘む為、木陰に置いていたところ突然舞い下りた大鷲に去られ、杉の木の上に置き去りにされたが、通り掛かった法相宗の僧・義淵僧正(ぎえんそうじょう)に救われて育てられ、その後母親が刻んだ観音菩薩(かんのんばさつ)の縁(えにし)によって再会し、親孝行を尽くしたことに由来になっています。なお初代・良弁杉は樹齢600年、高さ7丈(約21.2メートル)だった言われています。
東大寺見どころ

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