東大寺子安神社・東大寺見どころ(修学旅行)

東大寺子安神社

●東大寺子安神社は大仏殿と指図堂の間で、白壁の土塀に囲まれた場所に祀られています。子安神社は東大寺の古図によるとかつて富貴社(ふきのやしろ)とも言われていました。なお子安神社は安産と子孫繁栄を願う社として、江戸時代中期に富貴社から子安神社に改称されたと言われています。
子安神社は江戸時代中期の享保年間(1716年~1736年)の東大寺諸伽藍略録によると東大寺開山・良弁(ろうべん)の母親が相模国から来訪して住した場所で、その後母を祭祀し、子養社と言われたとも言われています。1989年(平成元年)に行われた解体修理の際、江戸時代前期の1671年(寛文11年)・江戸時代後期の1862年(文久2年)の遷宮の棟札が発見され、中門堂衆の文殊院(もんじゅいん)が改築したことが分かりました。子安神社は伊弉冊命(いざなみのみこと)を祀っています。伊弉冊命は日本神話の女神で、伊弉諾命(いざなぎのみこと)の妹であり、妻です。伊弉冊命は国産みの神とされています。
良弁の母親は野良仕事の中に子・良弁がワシにさらわれ、その後全国を探し歩き、約30年後に再会したとも言われています。
良弁(良辨) は飛鳥時代後期の689年(持統3年)に近江国または相模国で生まれたとも、百済系渡来人の子孫とも言われています。良弁は母親が野良仕事中にワシにさらわれ、東大寺二月堂前の杉の木に引っ掛かっているのを法相宗(ほっそうしゅう)の僧・義淵(ぎえん・ぎいん)に助けられ、僧として育てられたとも言われています。良弁は義淵から法相・唯識(ゆいしき)を学び、新羅(しらぎ)の僧・審祥(しんじょう)や慈訓(じくん・じきん)から華厳(けごん)を学びました。その後東山 (奈良県生駒市)に隠棲し、自ら刻んだ執金剛神像(しゅこんごうじんぞう)を安置して修行に励み、金鐘行者(こんしゅぎょうじゃ)の異名を得ました。そのことが第45代・聖武天皇の耳にとまり、728年(神亀5年)に聖武天皇の皇太子・基王(もといおう)の菩提の為に若草山山麓に設けられた金鐘山房の智行僧(ちぎょうそう)9人の1人に選ばれました。金鐘山房の羂索院(けんさくいん)を賜り、後に東大寺の前身である金鐘寺(こんしゅじ)になりました。742年(天平14年)に金鐘寺が大和国分寺になり、745年(天平17年)に律師(りっし)になり、751年(天平勝宝4年)に東大寺大仏造立・東大寺建立の功によって東大寺の初代別当になりました。756年(天平勝宝8年)に律宗の開祖・鑑真(がんじん)とともに大僧都(だいそうづ)になり、773年(宝亀4年)には僧尼を統括する僧正(そうじょう)に任命されました。なお良弁は774年(宝亀4年)1月10日に亡くなりました。
東大寺見どころ

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