東大寺千手堂・東大寺見どころ

東大寺千手堂

●東大寺千手堂は棟札銘によると桃山時代から江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に僧・成秀が再建したと言われています。ただ1998年(平成10年)5月の火災で大きな被害を受け、2002年(平成14年)6月6日に修復されました。東大寺千手堂はかつて鎌倉時代後期の1257年(正嘉元年)~1270年(文永7年)に東大寺大勧進・圓照上人(えんしょうしょうにん)が諸堂の造営・修理を行った際、千手堂が初めて建立されたと言われています。室町時代中期の1446年(文安3年)に僧坊からの失火で戒壇院(かいだんいん)の主な堂舎が焼失したが、千手堂は類焼を免れました。しかし戦国時代の1567年(永禄10年)の三好・松永の戦いの兵火で大仏殿などとともに焼失しました。なお東大寺千手堂はいずれも国の重要文化財である本尊・千手観音(せんじゅかんのん)立像や四天王(してんのう)立像、そして東大寺で戒律を授けた鑑真和上(がんじんわじょう)坐像などが安置されています。
圓照上人は鎌倉時代前期の1221年(承久3年)に東大寺・厳寛の子、聖守(しょうしゅ)の弟として大和(奈良)で生まれたと言われています。その後良遍(りょうへん)に法相宗(ほっそうしゅう)、覚盛(かくじょう)・叡尊(えいそん)に律宗(りっしゅう)、円爾(えんに)に臨済宗(りんざいしゅう)を学びました。1251年(建長3年)に東大寺・戒壇院に入って律宗の再興に努めました。1257年(正嘉元年)に東大寺大勧進になって諸堂の造営・修理を行いました。なお圓照上人は1277年(建治3年)10月22日に亡くなりました。
千手観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音(しょうかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。観音菩薩は菩薩の一尊で、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)・観自在菩薩(かんじざいぼさつ)・救世菩薩(くせぼさつ)・観音さまなどとも言われています。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
●東大寺千手堂は五間四方で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
東大寺見どころ

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