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東大寺天皇殿・東大寺見どころ(修学旅行・観光)
東大寺天皇殿
●東大寺天皇殿は元々江戸時代に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)を祀る東大寺東照宮(とうしょうぐう)として建立されました。明治維新後の神仏分離によって東大寺東照宮は東大寺の守護神である手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)に移されました。なお東大寺天皇殿は本坊経庫(国宝)・持仏堂とともに本坊内にあり、5月2日の聖武天皇祭の際に屋外から参拝することができます。
徳川家康は戦国時代(室町時代後期)の1543年(天文11年)に三河国額田郡岡崎城主・松平広忠(まつだいらひろただ)と於大の方(おだいのかた)の長男として生まれました。幼少期に織田氏・今川氏の人質として過ごし、1560年(永禄3年)の桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で織田信長(おだのぶなが)が今川義元(いまがわよしもと)を討つと岡崎に戻り、織田信長と同盟を結んで勢力を拡大しました。安土桃山時代の1582年(天正10年)の本能寺の変(ほんのうじのへん)で織田信長が自刀するとは関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)と対立するが、その後和睦して豊臣秀吉の天下統一に協力し、豊臣政権の五大老筆頭になりました。1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が亡くなり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で西軍に勝利し、1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍になりました。1605年(慶長10年)に徳川秀忠に将軍職を譲って大御所になり、1615年(慶長20年)に大坂の陣で豊臣氏を滅亡させました。なお徳川家康は1616年(元和2年)6月1日になくなりました。
●東大寺天皇殿には江戸時代中期の1689年(元禄2年)に造立された第45代・聖武天皇の像が祀られています。第45代・聖武天皇の像は勧進所内の八幡殿に祀られていたとも、手向山八幡宮に祀られていたとも言われています。
第45代・聖武天皇は701年(大宝元年)に第42代・文武天皇と藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘・藤原宮子(ふじわらのみやこ)の間に第1皇子として生まれました。714年(和銅7年)に元服して立太子され、病弱であったことから第42代・文武天皇の姉である第44代・元正天皇が即位しました。724年(神亀元年)に第44代・元正天皇から譲位されて24歳で天皇に即位しました。その後皇族皇后の慣習を破って、藤原不比等の娘・安宿媛(あすかべひめ・光明子(こうみょうし))を非皇族初の皇后(光明皇后)にしました。737年(天平9年)に天然痘が流行し、740年(天平12年)に藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)が起こると突然関東(伊勢国・美濃国)への行幸を始め、その後約10年間に目まぐるしく遷都(平城京・恭仁京・難波京・紫香楽京・平城京)を行いました。第45代・聖武天皇は仏教に深く帰依し、741年(天平13年)に国分寺建立の詔 (こくぶんじこんりゅうのみことのり)、743年(天平15年)に大仏造立の詔(だいぶつぞうりゅうのみことのり)を発しました。749年(天平勝宝元年)に娘・阿倍内親王(あべないしんのう(第46代・孝謙天皇 第48代・称徳天皇))に譲位して出家し、752年(天平勝宝4年)に東大寺大仏の開眼法要を行いました。第45代・聖武天皇は生前譲位した初の男性天皇とされています。なお第45代・聖武天皇は756年(天平勝宝8年)5月2日に56歳で崩御しました。
東大寺見どころ