唐招提寺開山御廟・唐招提寺見どころ(修学旅行・観光)

唐招提寺開山御廟

●唐招提寺開山御廟は境内北東の奥まった静かな場所にある律宗(りっしゅう)の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の墓所です。開山御廟では小高い方墳上の土壇の上に鎌倉時代後期に造られた高さ約2.5メートルの宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建立されています。(笠石上部・相輪は後補)開山御廟前には鑑真和上の故郷である中国・揚州から贈られた瓊花(けいか)が植えられ、初夏に可憐な白い花を咲かせます。
鑑真和上は奈良時代の688年に唐(中国)・揚州(ようしゅう)江陽県(こうようけん)に生まれました。14歳で智満(ちまん)の元で出家し、18歳で道岸(どうがん)から菩薩戒(ぼさつかい)を受け、20歳から古都・長安(ちょうあん)で律宗(りっしゅう)・天台宗(てんだいしゅう)を学んで修行を積み、江南第一の大師と称されました。鑑真和上は法蔵部(ほうぞうぶ・曇無徳部(どんむとくぶ))に伝承されてきた四分律(しぶんりつ)に基づく南山律宗の継承者で、4万人以上に授戒を行ったとも言われています。その後揚州・大明寺(だいめいじ)の住職であった742年(天宝元年)に遣唐使(けんとうし)として唐に渡った栄叡(ようえい)・普照(ふしょう)から伝戒(でんかい)の師としての招請を受け、奈良時代中期の753年(天平勝宝5年)に6回目の挑戦の末に来日しました。ちなみに鑑真和上は5度の渡航失敗中に失明しました。来日後の5年間は東大寺(とうだいじ)で過ごし、大仏殿に戒壇(かいだん)を築き、聖武上皇(第45代・聖武天皇)から僧尼まで400名に菩薩戒を授けました。758年(天平宝字2年)に第47代・淳仁天皇の勅によって大和上(だいわじょう)に任じられ、政治に囚われる労苦から解放する為に僧尼を管理する僧綱(そうごう)の任が解かれました。759年(天平宝字3年)に第40代・天武天皇の皇子・新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸宅跡が与えられて唐招提寺が創建されると唐招提寺に移りました。悲田院を作り、貧民救済にも取り組みました。なお鑑真和上は奈良時代後期の763年(天平宝字7年)5月6日に76歳で亡くなりました。
瓊花は江蘇省揚州市原産のスイカズラ科ガマズミ属の半常緑低木で、八仙花(はっせんか)とも言われています。唐招提寺の瓊花は1963年(昭和38年)の鑑真和上遷化1,200年の記念事業の一環として、中国仏教協会から唐招提寺に贈られました。唐招提寺では御影堂供華園(くげえん)にも植えられ、例年瓊花が見頃を迎える4月中旬頃から5月頃に開園しています。(要確認)
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は墓塔・供養塔などに用いられる仏塔の一種です。宝篋印塔は中国・十国呉越の最後の王・銭弘俶(せんこうしゅく)が延命を願って諸国に配った8万4千塔が起源とも言われています。
唐招提寺見どころ

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