唐招提寺金堂・唐招提寺見どころ(修学旅行・観光)

●唐招提寺金堂は1897年(明治30年)12月28日に国の重要文化財、1951年(昭和26年)6月9日に国宝に指定されました。
●唐招提寺金堂は奈良時代(8世紀後半)に中国・唐からの渡来僧で、律宗(りっしゅう)の開祖・鑑真和上(がんじんわじょう)の弟子で、渡来僧・如宝(にょほう)が建立しました。金堂は奈良時代に当初から金堂として建立された唯一金堂とも言われています。なお唐招提寺金堂は平安時代後期に軒廻りが修理され、鎌倉時代に本尊を安置する石造須弥壇(しゅみだん)が造られ、鎌倉時代後期の元亨年間(1321年~1324年)に屋根が葺き替えられ、江戸時代中期の元禄年間(1688年~1704年)に解体修理などが行われ、1898年(明治31年)~1899年(明治32年)の保存修理で解体修理が行われ、小屋組をトラスに置き換えられました。なお2000年(平成12年)から開始された平成の大修理に伴う調査により、奈良時代後期の781年(天応元年)に伐採されたヒノキが使われていたことが分かりました。
如宝は生年不詳(736年(開元24年・天平8年)頃)で、「唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)・奈良時代後期の779年(宝亀10年)成立」によると胡国(西域)で生まれたとも言われています。江蘇省・楊州(ようしゅう)を中心に活動していた鑑真和上に師事したが、正規の僧ではなく、修行中の僧である沙弥(さみ・しゃみ)または在家の信者である優婆塞(うばそく)だったとも言われています。753年(天宝12載)に6度目の日本渡航に挑んだ鑑真和上の随員に加わって唐を離れ、754年(天平勝宝6年)2月に鑑真和上とともに奈良・平城京に入り、同年4月に東大寺(とうだいじ)大仏殿前で受戒の儀が行われた際に受戒して正規の僧になりました。その後東大寺戒壇院(かいだんいん)の北の唐禅院(とうぜんいん)に住したが、鑑真和上が戒院・唐律招提(とうりつしょうだい・唐招提寺)を興すと鑑真和上とともに東大寺を去りました。763年(天平宝字7年)に鑑真和上が唐招提寺で没するとその後唐招提寺長老になり、伽藍造営に尽力し、律宗の発展に務めました。平安時代初期の797年(延暦16年)に律師(りっし)に任じられ、806年(大同元年)に少僧都(しょうそうづ)に任じられました。如宝は815年(弘仁6年)2月19日に亡くなり、唐招提寺は弟子で、第5世・豊安(ぶあん)が継ぎました。勅撰史書「日本後紀(にほんこうき)・平安時代初期編纂」の卒伝によると戒律を厳守し、大国の風格があったと言われています。
一般的に金堂は本尊仏を安置する本堂(仏堂)のことです。金堂は本堂・根本中堂(中堂)・仏殿などとも言われています。飛鳥時代から平安時代前半に創建された寺院では金堂と言われ、禅宗では仏殿と言われるとこが多いそうです。
唐招提寺見どころ

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