唐招提寺講堂・唐招提寺見どころ(修学旅行・観光)

●唐招提寺講堂は1898年(明治31年)12月28日に国の重要文化財、1952年(昭和27年)11月22日に国宝に指定されました。
●唐招提寺講堂は奈良時代の760年(天平宝字4年)頃に行われた平城宮(へいぜいきゅう・へいじょうきゅう)の改修の際、平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を唐招提寺に移築・改造して建立されました。屋根が切妻造(きりづまづくり)から入母屋造(いりもやづくり)に改められたと言われています。講堂は現在平城宮の唯一の遺構とも言われています。ただ鎌倉時代にも改修されたそうです。講堂は入母屋造の本瓦葺です。
一般的に講堂は僧侶が経典の講義や説教などをする堂塔です。講堂は通常、中国・唐時代の伽藍配置に倣って、金堂(本堂)の背後に建立されています。ちなみに講堂は禅宗寺院では法堂(はっとう)とも言われています。講堂は奈良時代に建立が始まり、鎌倉時代以後にはほとんど建立されなくなったが、禅宗寺院で仏殿の背後に法堂として建立されました。講堂は奈良時代に建立された唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂や平安時代に再建された法隆寺(ほうりゅうじ)の大講堂がよく知られています。講堂で講義する際には本尊を安置し、講師が本尊に向かい、礼盤(らいばん)に座って講義を行いました。なお講堂は多くの僧侶が参集することから金堂よりも大きく建立されるが、装飾性は少い堂塔です。
朝集殿(朝集堂(ちょうしゅうどう))は朝廷の正殿である大極殿(だいごくでん)・天皇が執政し、群臣と会見したりする朝堂(ちょうどう)とともに朝堂院(ちょうどういん)を構成し、朝廷の臣下や官人が出仕する際の控えとなった建物です。朝集殿は朝堂の南に位置し、朝堂の南門の開門の時刻まで待機し、臣下や官人が身づくろいするなどしました。
平城宮は天皇在所である平城京の大内裏(だいだいり)です。平城宮は平城京の北端に位置する面積東西約1.3キロ・南北約1キロで、東側に張り出し部がありました。平城宮のほぼ中央に天皇の住まいである内裏(大内裏)があり、その南側に儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)があり、それらの周囲に役人が執務を行う官衙(かんが)が建ち並んでいました。なお平城京は710年(和銅3年)から784年(延暦3年)まで営まれ、途中8年ほど恭仁京(くにきょう)・難波京(なにわきょう)に都が移されました。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
唐招提寺見どころ

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