薬師寺不動堂・薬師寺見どころ(修学旅行)

薬師寺不動堂

●薬師寺不動堂は白鳳伽藍北西端に建立されています。不動堂には本尊である不動明王(平安時代作)・修験道(しゅげんどう)の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ・神変大菩薩(じんべんだいぼさつ))・山嶽仏教である修験道の本尊である蔵王権現(ざおうごんげん)などを祀っています。不動堂では毎月8日・18日・28日に南都修験道薬師寺修験咒師(しゅげんしゅし)本部の僧侶が護摩祈願・先祖供養を行っています。3月25日の花会式・10月8日の天武忌では柴燈大護摩・火渉三昧も行われます。なお不動堂前には新旧の石造不動明王像も建立されています。
不動明王は密教の根本尊である大日如来の化身とされ、五大明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))の中心となる明王です。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索(さく)を持ち、全ての悪と煩悩(ぼんのう)を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。なお不動明王はヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が起源とされ、平安時代初期の804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡った真言宗の宗祖である弘法大師・空海が806年(大同元年)に密教とともに唐から不動明王の図像を持ち帰ったと言われています。
役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女との間に賀茂一族(高賀茂朝臣)として奈良御所市茅原(大和国葛城上郡茅原)で生まれたとも言われました。誕生地には本山修験宗の吉祥草寺が創建されています。その後17歳で奈良・元興寺で孔雀明王の呪法を学び、、葛城山・熊野・大峰で山岳修行を続け、吉野・金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰や山修行と外来の密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。しかし弟子・韓国連広足が師・役行者の能力を妬み、鬼神を使役とした妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴したことから699年(文武3年)に伊豆島に流罪になったが、701年(大宝元年)1月に大赦となって故郷・御所市茅原に戻り、6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で68歳で亡くなったと言われています。なお役行者は修験道の祖とされ、前鬼と後鬼を弟子にしたと言われています。
蔵王権現は日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊とされています。蔵王権現は修験道の祖とされる役行者(役小角)が吉野・金峯山で修行中に示現したとも言われています。蔵王権現は役行者が創建したお言われる吉野・金峯山寺の本尊として祀られています。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、日本では天台宗・真言宗などで行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
●薬師寺不動堂は入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
薬師寺見どころ

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