円成寺護摩堂・円成寺見どころ(修学旅行・観光)

円成寺護摩堂

●円成寺護摩堂は江戸時代中期の1730年(享保15年)に再建されました。その後老朽化し、1994年(平成6年)に改修されました。護摩堂には不動明王(ふどうみょうおう)立像、旧食堂の本尊であった僧形文殊菩薩(もんじゅぼさつ)坐像、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)坐像を安置しています。なお護摩堂では毎月28日に不動明王護摩供養が行われています。
不動明王は密教の根本尊である大日如来(だいにちにょらい)の化身とされ、五大明王(降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう))の中心となる明王の一尊です。不動明王は大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)・無動明王・無動尊・不動尊などとも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は一面二臂(顔が1個・腕が2本)で、背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣(三鈷剣(さんこけん))、左手に救済の索(羂索(けんさく))を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王はヒンドゥー教の最高神・シヴァ神が起源とされています。日本には平安時代初期の804年(延暦23年)に遣唐使として唐に渡った真言宗の宗祖である弘法大師・空海が806年(大同元年)に密教とともに唐(中国)から不動明王の図像を持ち帰ったと言われています。なお不動明王は毎月28日が縁日とされています。
文殊菩薩は菩薩の一尊です。文殊菩薩は一般的に普賢菩薩(ふげんぼさつ)とともに釈迦如来(しゃかにょらい)の脇侍とされています。文殊菩薩は中尊の釈迦如来・普賢菩薩とともに釈迦三尊とも言われています。文殊菩薩は智慧(ちえ)を司り、「三人寄れば文殊の智恵」ということわざの由来になっています。また文殊菩薩は般若波羅蜜(はんにゃはらみった)を説き、「般若経(はんにゃ)」を編集したとも言われています。「華厳経(けごんきょう)」では東方清涼山に住むとされ、中国五台山の清涼寺が霊地にあたるとされています。文殊菩薩像は獅子(しし)の背の蓮華座(れんげざ)に結跏趺坐(けっかふざ)し、右手に智慧を象徴する利剣、左手に経典を乗せた青蓮華(しょうれんげ)を持っています。
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)と母・阿刀大足(あとのおおたり)の妹の間に生まれました。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗(さんろんしゅう)の僧で、東大寺(とうだいじ)別当・勤操(ごんそう)のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位(でんぽうあじゃりい)の灌頂(かんじょう)を受け、遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺(こんごうぶじ)創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、日本では天台宗(てんだいしゅう)・真言宗(しんごんしゅう)などで行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
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