円成寺楼門・円成寺見どころ(修学旅行・観光)

円成寺楼門

●円成寺楼門は1906年(明治39年)4月14日に国の重要文化財に指定されました。
●円成寺楼門は石段の上で、本堂(阿弥陀堂)前に建立されています。楼門は室町時代中期の1466年(文正元年)に兵火で焼失し、1468年(応仁2年)に再建されました。楼門は下層の出入口の上に正面・背面ともに花肘木(はなひじき)を入れ、正面は蓮唐草(はすからくさ)浮彫(うきぼり)の中央蓮華(れんげ)上の月輪(がちりん)にキリク(阿弥陀如来(あみだにょらい)を表す梵字)を刻み、背面は牡丹唐草(ぼたんからくさ)浮彫の中央、牡丹花上に宝珠(ほうじゅ)が刻まれています。また楼門には正面に「忍辱山(にんにくせん)」という山号の額も掲げられています。なお楼門は通常通行止めになっています。
楼門は寺社の入口にある二階建て(重層)の門です。楼門は下層に屋根のないものを言い、下層に屋根があるものを二重門と言います。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来の一尊で、西方の極楽浄土(ごくらくじょうど)の教主とされています。阿弥陀如来は弥陀仏(阿弥陀佛)・無量光仏(むりょうこうぶつ)・無量寿仏(むりょうじゅぶつ)とも言われています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は紀元100年頃に編纂された大乗仏教の経典「無量寿経(むりょうじゅきょう)」によると世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで出家して修行していた時、法蔵比丘(ほうぞうびく)という菩薩(法蔵菩薩( ほうぞうぼさつ))であったが、48の誓願(四十八願 (しじゅうはちがん))を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土(ごくらくじょうど)を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代(7世紀前半)に日本に伝わり、平安時代中期以降に隆盛して阿弥陀如来像が造仏され、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになりました。法然上人(ほうねんしょうにん)を宗祖とする浄土宗(じょうどしゅう)・親鸞聖人(しんらんしょうにん)を宗祖とする浄土真宗(じょうどしんしゅう)・一遍上人(いっぺんしょうにん)を宗祖とするを時宗が成立しました。なお平安時代後期の1052年(永承7年)は末法元年とされ、教え(仏説)のみ残り、修行(実践)も悟り(結果)も得られないという末法思想(まっぽうしそう)の広がりが阿弥陀信仰に影響を与えました。
●円成寺楼門は三間一戸で、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。入母屋造は法隆寺(ほうりゅうじ)の金堂・唐招提寺(とうしょうだいじ)の講堂に採用されています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
円成寺見どころ

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