円福寺本堂・円福寺見どころ(修学旅行・観光)

円福寺本堂

●円福寺本堂は1922年(大正11年)4月13日に国の重要文化財に指定されました。
●円福寺本堂は南北朝時代の1371年(建徳2年・応安4年)に建立されました。来迎壁(らいごうかべ )額縁裏面の墨書銘「応安二二(四)年ウルウ三月廿五日春カウ五郎」と記されています。本堂は来迎柱を建て、十二天図(じゅうにてんず)を描いた来迎壁に須弥壇(しゅみだん)を設けています。本堂は本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)坐像や平安時代初期に造仏されたの十一面観音(じゅういちめんかんのん)を安置しています。
阿弥陀如来は大乗仏教の如来の一尊で、西方の極楽浄土の教主とされています。阿弥陀如来は生あるものを全てを救う如来とされています。阿弥陀如来は経典「無量寿経」によると世自在王仏のもとで出家し、法蔵比丘という菩薩であったが、48の誓願を立てて修行して仏になり、仏国土である極楽浄土を設立して現在もそこで説法しているとされています。阿弥陀如来は飛鳥時代に日本に伝わり、鎌倉時代に念仏によって極楽浄土に往生できるという阿弥陀信仰が盛んになり、法然上人を宗祖とする浄土宗・親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗・一遍上人を宗祖とするを時宗が成立しました。
十一面観音は六観音の一尊です。六観音は千手観音・聖観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音または不空羂索観音です。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。十一面観音像は通例として、頭上の正面側に柔和相(3面)、左側(向かって右)に憤怒相(3面)、右側(向かって左)に白牙上出相(3面)、背面に大笑相(1面)、頭頂に仏相を現します。
十二天(天部十二尊)は仏教の護法善神である天部の十二尊の総称です。十二天は帝釈天(たいしゃくてん)・火天(かてん)・焔摩天(えんまてん)・羅刹天(らせつてん)・水天(すいてん)・風天(ふうてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・伊舎那天(いざなてん)・梵天(ぼんてん)・地天(じてん)・日天(にってん)・月天(がってん)です。なお十二天は八方(東・西・南・北・東北・東南・西北・西南)を護る八方天、天地の二天と日月の二天を加えたものです。
●円福寺本堂は桁行三間・梁間三間で、入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は向拝(こうはい)一間です。本堂は中央に小組格(こくみごう)天井を組み上げた和様建築で、周囲に縁を廻らし、正面は全て蔀戸(しとみど)になっています。
入母屋造は切妻造と寄棟造を組み合わせた屋根の形式です。寄棟造の屋根の上に切妻造の屋根を載せた形で、切妻造の四方に庇(ひさし)がついています。京都御所の紫宸殿(ししんでん)のように切妻と寄棟の角度が一続きでないものは錣屋根(しころやね)とも言われています。日本では古くから切妻造は寄棟造よりも格式が上とも言われ、それらの組み合わせた入母屋造は最も格式が高いとも言われています。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
向拝は寺院・神社建築で仏堂・社殿の屋根の中央が前方に張り出した部分です。向拝は仏堂・社殿の入口に階段上に設けられることから階隠(はしかくし)とも言われています。
円福寺

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