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不退寺本堂・不退寺見どころ(修学旅行・観光)
不退寺本堂
●不退寺本堂は1904年(明治37年)2月18日に国の重要文化財に指定されました。
●不退寺本堂は室町時代前期(1333年~1392年)に建立されました。1930年(昭和5年)に解体修理が行われ、天井裏などからこけら経が発見されました。本堂は内陣の須弥壇(しゅみだん)中央に本尊・聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)像、その周囲に五大明王(ごだいみょうおう)像・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)像を安置してます。須弥壇左右に小部屋があり、東小部屋に神仏習合名残りの伊勢太神宮(いせだいじんぐう)を奉安し、西小部屋に阿保親王(あぼしんのう)坐像と平城天皇(へいぜいてんのう)・伊都内親王(いとないしんのう)の尊儀が祀られています。
聖観音は六観音の一尊です。六観音は聖観音・千手観音(せんじゅかんのん)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)・馬頭観音(ばとうかんのん)・如意輪観音(にょいりんかんのん)・准胝観音(じゅんでいかんのん)または不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)です。観音菩薩は人々の救いを求める声を聞き、その苦悩から救済すると言われています。観音菩薩は救う相手の姿に応じて千変万化の相となると言われています。「観音経」では様々に姿を変える三十三応化身(さんじゅうさんおうげしん)が説かれています。
五大明王(五大尊・五忿怒)は魔を降伏させる不動明王(ふどうみょうおう)・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の五尊です。五大明王は平安時代前期に密教が隆盛すると五壇法(ごだんほう)の本尊として五大明王が祀られるようになりました。なお不動明王は大日如来(だいにちにょらい)、降三世明王は阿しゅく如来(あしゅくにょらい)、軍荼利明王は宝生如来(ほうしょうにょらい)、大威徳明王は阿弥陀如来(あみだにょらい)、金剛夜叉明王は不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)の教令輪身(きようりようりんじん)とされています。
地蔵菩薩は菩薩の一尊です。地蔵菩薩はお釈迦様が没し、5億7,600万年後か、56億7,000万年後に弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出世成道するまでの間、無仏の五濁悪世(ごじょくあくせ)で六道(ろくどう)に苦しむ衆生を教化救済するとされています。また地蔵菩薩は日本で「子供の守り神」とされ、小児の成長を守り、夭折した小児の死後を救い取ると信じられています。地蔵菩薩は「地蔵菩薩本願経(じぞうぼさつほんがんきょう)」で善男善女の為の二十八種利益と天龍鬼神の為の七種利益が説かれています。
●不退寺本堂は桁行五間・梁間四間で、寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は奥の内陣と手前の外陣(礼堂)に分かれ、その境に吹寄菱欄間(ふきよせひしらんま・業平格子(なりひらごうし))と木連格子(きつれごうし)があります。なお本堂は正面と背面の頭貫(かしらぬき)が中央の柱間の部分だけ緩いカーブ描く虹梁(こうりょう)形になっています。
寄棟造は四方向に傾斜する屋根面を持つ屋根の形式です。寄棟造は大棟(おおむね)の両端から四方に隅棟(すみむね)が降り、2つの台形と2つの二等辺三角形で構成されます。いずれも奈良県の東大寺の大仏殿や正倉院(しょうそういん)・唐招提寺(とうしょうだいじ)の金堂が代表例です。
本瓦葺は平瓦と丸瓦を交互に組み合わせて屋根を葺く方法です。瓦葺は飛鳥時代に中国・朝鮮半島から寺院建築の技術とともに伝来しました。瓦葺は檜皮葺(ひわだぶき)・茅葺(かやぶき)・板葺(いたぶき)などに比べ耐水性・耐火性に優れ、台風の多い日本に適していました。
不退寺