人麿神社本殿・人麿神社見どころ(修学旅行・観光)

人麿神社本殿

●人麿神社本殿は1979年(昭和54年)5月21日に国の重要文化財に指定されました。
●人麿神社本殿は解体修理で発見された棟木(むなぎ)銘から南北朝時代の1345年(興国6年・康永4年)に建立されたと言われています。2011年(平成23年)~2012年(平成24年)に屋根の葺き替え工事が行われました。本殿は三十六歌仙に数えられ、山部赤人(やまべのあかひと)とともに「歌聖」と称された柿本人麻呂を祀っています。
柿本人麻呂は生没年未詳です。飛鳥時代後期の660年(斉明天皇6年)頃に柿本大庭(かきのもとのおおば)の子として生まれたとも言われています。ちなみに柿本氏は第5代・孝昭天皇(こうしょうてんのう)後裔を称する春日氏(かすがし)の庶流に当たり、柿本人麻呂の子孫は石見国美乃郡司(地方官)として土着し、鎌倉時代以降に益田氏(ますだし)を称して石見国人となったと言われています。柿本人麻呂は第41代・持統天皇(じとうてんのう)の時代(690年(持統天皇4年)~697年(持統天皇11年))や第42代・文武天皇(もんむてんのう)の時代(697年(文武天皇元年)~707年(慶雲4年))に官位が低い下級官吏として仕え、官命で地方官になったと言われています。「石見相聞歌(いわみそうもんか)」に「石見のや 高角山の 木の間より わが振る袖を 妹見つらむか」があり、石見国での臨死歌と言われる「鴨山(かもやま)の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ」が残されています。また柿本人麻呂はその歌才から宮廷歌人として活躍し、日本最古の和歌集「万葉集(まんようしゅう)」第一の歌人と言われ、長歌19首・短歌75首(諸説あり)が掲載されています。ちなみに「柿本人麻呂歌集」所収の長短合わせて、約370首が「万葉集」に収められています。小倉百人一首(おぐらひゃくにんいっしゅ)には第三番歌「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」が選ばれています。柿本人麻呂は長歌・短歌いずれにも秀で、その雄渾にして枕詞・対句・比喩などの修辞を尽くした作風が日本詩歌史に独歩する存在と言われています。柿本人麻呂は奈良時代前期の724年(神亀元年)に石見国(島根県益田市)で亡くなったとも言われています。
●人麿神社本殿は一間社(いっけんしゃ)隅木入(すみぎいり)春日造(かすがづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。本殿は元々切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、前に庇(ひさし)があり、厚板葺(あついたぶき)だったが、大仏様(だいぶつよう)系木鼻(きばな)などもあります。
春日造は切妻造(きりづまづくり)の妻入(つまいり)で、正面に庇(ひさし)である階隠(はしかくし)を設け、屋根上(棟)に置き千木(ちぎ)・鰹木(かつおぎ)が付けられています。春日造は仏教建築の影響を受け、奈良時代中期に現れたとも言われています。
檜皮葺は屋根葺手法の一形式です。檜皮葺では檜(ひのき)の樹皮を用いて屋根を葺きます。檜皮葺は日本以外では見られない日本古来の手法です。檜皮葺は飛鳥時代の668年(天智天皇7年)に滋賀県大津市の廃寺・崇福寺(すうふくじ)の諸堂が檜皮で葺かれた記録が最古の記録です。
人麿神社

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